私を見た家
もっとも、かつては父と母と妹との四人暮らしだったのだ。
あれほど憧れた一人暮らしにまったく興味を失ったのは、働き始めてからだ。
高校を卒業するまでは門限があって、不満に思いながらも律儀に守っていた。門限を巡って親と喧嘩をする同級生を見て、そんなことでもめる方がよっぽど面倒くさかった。
高校三年生になり受験勉強のための塾通いが始まると、それを理由に寄り道を始めた。
塾の帰りにおなかを空かせた娘がハンバーガーやドーナツを食べることを両親は許してくれた。食べることに関して両親は厳しくなかった。ハンバーガーを買い食いしてからも夕食を平らげていたから、よっぽど空腹な子どもだと思われていたのかもしれない。
大学に入学するとあっけなく門限はなくなった。
私はバレーボールサークルに入り、バレーボールもしないのに毎晩遅くに帰宅した。家族はみんな眠ったあとだった。夜通し友だちと話しているだけで楽しくて、時間はいくらでも必要だった。何があんなに楽しかったのか、今は思い出せない。
いわゆる朝帰りをしたことはなかったけれど、一人暮らしの友だちのだらしない生活がときどき羨ましくはあった。両親と妹が眠る家へ帰りながら、現実的にはできやしないのに一人暮らしでもしようかなと思ったりした。
二十代になって会社勤めを始めると実家暮らしのありがたみが身に染みて、一人暮らしに憧れることもなくなった。
当時はITバブルと呼ばれる時代で、理工学部だった私はシステム開発会社に就職した。
会社の業績が上がっていた時代、自分の好きなことをする時間などまったくなかった。それどころかゆっくりと身体を休めることもできなかった。
上向いた景気の波に乗ると、さらに目が回るほどの忙しさが襲ってきた。永久に終わらない仕事を無理やりひと段落させ、同僚とともに仕事の延長のような遊びを詰め込んだ。
家に帰れないことはない。けれどもただ寝るだけの家。
夕食はどこで食べたのかも記憶がない。会社のデスクでコンビニのパンをかじるか、同僚とどこかのレストランではしゃいでいた。疲れを吹き飛ばすかのように。
毎晩へとへとになるまで動き回る私を母は甘やかしてくれた。
始発に乗り、終電で帰る。スーツもストッキングも脱ぎ捨てて、かろうじてシャワーだけは浴びる。たまに早く帰っても、寝るとき以外はパソコンの画面ばかりを見ている。
あのころの父の記憶がない。妹も同じだ。
身の回りの世話をしてくれた母の記憶がかろうじてあるだけ。脱ぎ捨てた服は知らない間に片づけられていた。
私を見た家