テーマ:一人暮らし

私を見た家

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「お母さん、いつまでも元気でいてね。私、頑張って働くからね」
 一人ではこんな生活は絶対に無理だとわかっていた。
 誰に頼まれたわけでもないのに、疲れ果てても仕事をする生活を送ることに勝手に責任を感じた。母は「はいはい」と呆れた声でいい、どこへも行かずに私の帰りを待ってくれた。家はいつでも磨き上げられていた。
そのときは自分が四十を過ぎてもこの家で暮らしているなんて想像していなかった。恋人らしき人もいなかったのに、いつか時が来たら家を出るなんて思っていたのかもしれない。

まだ働き盛りだった父が突然亡くなってしまったのは、私が就職をして数年経ってからだった。私は父の葬儀に出るのも頭を下げ仕事の調整をした。
 やっとのことで取得した忌引きに、父を思って悲しむことはできなかった。
 父はほとんど過労で亡くなったというのに、葬儀中も頭のどこかで仕事のことを考えていた。葬儀の準備は慌ただしく、終わるとほっとしてしまった。
父は家を遺し、私も妹もすでに会社勤めをしていたため、家族が経済的に困窮することはなかった。母と妹との気楽な三人暮らしが始まった。
 しばらくはふと涙を流すこともあった母もだんだんと元気を取り戻した。母が泣くことに見て見ぬふりをしていた私は内心「助かった」と思っていた。
 私はだんだんと父がいたころは決してしなかったこともするようになった。
風呂上りにタオルをまいてビールを飲んだり、一人だけ夜中に風呂に入ったり。当然のように朝方に帰ったり、そのままリビングのソファで寝たり。
母は「あなたももういい歳なんだから」とくぎを刺したのに、私も妹も気楽さ負けて度を越していった。
 母も適度に家事をさぼることを覚えた。
父との生活では許されなかった手抜き料理も予定にない外食も、毎日ではなくなった洗濯も、私はどんどんすればいいと思った。母はもう十分に家族のために働いたのだ。自分の好きなようにするのが一番いい。
趣味を見つけたらいいと思っていた矢先に、母は生け花のカルチャースクールを見つけて通い始めた。市の施設で二週間に一度の集まりがあるという。張り切って家でも剣山に花を生けるようになった。
母は父の月命日を忘れず、必ず花と甘いものを仏壇に供えた。スーパーの饅頭やプリンなどだったけれど、私にとってはそれを見るときだけが忙しい生活のなかで父を思い出す瞬間だった。また一か月が経った。その繰り返し。

 母と妹との三人暮らしも十年以上が経ち、父のいない暮らしにもすっかり慣れてきたころ、妹が妊娠した。すぐに結婚することになり話が進められた。

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