テーマ:一人暮らし

私を見た家

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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「誰も帰ってこないってわかってるのに、おかしいね」
 気づけば遺影に話しかけていた。妹と母が甥を見せていたことを思い出した。
「さみしいわけじゃないのに、何だろうね」
 今になって急に父の遺影に話しかける私を妹と母はどう思うだろう。まだ不思議だろうか。
 朝食用の目玉焼きを焼いているときに急に涙がこぼれ落ちた。
 目玉焼きは二つ焼いた。朝と昼用だ。昼は冷えたものを温め直して食べる。母はまとめ料理はしなかった。父が絶対に許さず、母自身もそれをよしとしなかった。でも一人暮らしの私はそれをする。
 今になって誰かが私を泣かしているように、身体の奥の方にある何かが涙を押し出してくる。抗おうとしても無駄だと思って泣いた。大きな声を出しても誰も聞いていない。リビングで泣いたのは初めてだった。それまでは浴槽で涙を洗い流していた。

母は毎月のようにわざわざ新幹線に乗って家に遊びに来た。
「旦那さんとうまくいってないの?」
 私がこう聞いたときの母の口はげんこつが入るくらいに大きく開いた。それでようやく私の方が母に気にされていると気がついた。誕生日もクリスマスもお正月でさえ一人でいる娘のことを不憫に思っているのか、あわれに思っているのか。そのどちらかだ。
 一人暮らしではなかったころも、一人暮らしの今も、心配されるのは私なのか。
 そう思うと急に身体から力が抜けた。母がどっさりと持ってきたお土産の山がテーブルの上に山になっている。すぐに食べきらなくてもいいように、保存食のようなおみやげばかりだった。
 どれもおいしく食べられるけれど、新鮮なものを食べたいと思った。
 父が食べていた記憶がないカニの缶詰を仏壇に供えた。
「お父さん、家でこんなの食べたことあったっけ?」
 ないなと思いながらも、口から出た。
 仏壇の備え付けの小さな引き出しを開けた。そこには父のパイプと封の切られた煙草の箱が入っていた。母がしまっておいたのだ。
 やにで汚れたパイプに、ちびた煙草を差し込む父を思い出した。
 それが父にとっての節約だった。母は引き出しにこの二つをしまったことを覚えているだろうか。確かめる気にはならなかった。覚えていてもいなくても、これからは私しか知らなくていい。
 煙草の箱とパイプをきちんと揃えて仏壇に供えた。
「ずっとこれが欲しかったよね?」
 甘いものばかり供えていた母の魂胆は、自分で食べたいからだ。
 お父さんにお供えする名目で好きなものを買う。

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