私を見た家
四十も半ばを過ぎてから「先生」と呼ばれる日が来るとは思わなかった。
それも小学生の男の子たちから。もしも私に子どもがいたとして、それは高校生とか大学生とか、もっと年長だっただろう。自分の記憶から抜け落ちている小学生の男の子なんて何よりも遠い存在だった。
「先生、もう少し麦茶をもらってもいい?」
「冷蔵庫のいつものところ。コップは先生が洗うからね」
はじめはこれも教育の一つかもしれないと、使い終わったガラスのコップは自分で洗わせていた。けれどもあまりにも危なっかしいその手つきに、見ている私がハラハラし、洗っている間はずっと目が離せなくなった。
そんな教育はここでする必要はない。家でしてもらえばいい。
ここはプログラミング教室なのだ。家事は教えない。
そう気づいてからは、すべて自分で洗うことにした。割り切ると楽になった。
教室専用の冷蔵庫があるわけではなく、一階のキッチンにある大きな冷蔵庫には私の缶ビールやマヨネーズもすべて一緒に入っている。
けれども生徒の男の子たちは冷蔵庫のなかの言われたところ以外を決して開けたりしない。麦茶とオレンジジュース、スーパーで売っている個包装のお菓子を用意しておく。ときどき、自分も食べたいときにだけ気まぐれにシュークリームを買うこともある。
以前、夜に友人が来るからとケーキを買って箱のまま入れておいた。その日のレッスンはみんな落ち着きがなく、私の話も上の空で聞いているようだった。
いつもは目を輝かせてパソコンをいじっている子どもたちのその態度に、学校で何かあったのかもしれないと思った。これが続くようなら、それとなく聞いてみるか、レッスン内容を一度改めよう。
「先生、この前のケーキはぜんぶ一人で食べちゃったの?」
言われてはっとした。白いケーキの箱の存在感は圧倒的だ。麦茶を横目に、ケーキの箱が気になって仕方なかったのだろう。
次のレッスンには小さなケーキが何種類も入ってセットになっているものを用意した。
「今日はレッスンが終わったらみんなでケーキを食べようね」
「どうしてケーキがあるの?」
「先生が食べたかったからよ」
「先生ってこの前も一人で食べてたよね」
男の子たちが嬉しそうにケーキを選ぶ顔は忘れられない。私もかつてはこんな顔をしてケーキを見ていたのだろう。
もう記憶にない自分の幼い顔が男の子のそれに重なっていく。
この二階建ての一軒家で男の子たちにプログラミングを教えるようになってからまだ三年も経たない。一人暮らしには不釣り合いな大きな冷蔵庫を買い替えないでよかった。
私を見た家