ダンボールマン
「自分はこれと言って当たり障りのない、平凡な毎日を目標とします」と、まず浩は話した。思った通りに何の手ごたえも感じ得ない。続いて、
「社会において何の役割も自分は果たしたくありません」と、ちょっとふざけて言ってみた。クスッと新入社員の笑い声が聞こえるか、ムスッと上司の怪訝な顔つきが見られるのではと、浩は少々期待したがそれも全くなかった。ダンボールをかぶった事によって、これ迄以上何倍も自分の存在感が薄れている、と彼は感じた。そして、ずっと自分を出さずにこれ迄生きてきたが、これからは自分を出したところで、出した自分の事を誰も真剣に、目にも耳にも胸にも受けとってくれないと思い寂しくなった。
この日浩は数名の同僚と当たり障りのない会話を交わし帰宅の道についた。途中、人生初めて一人で居酒屋に入った。強くないのに酒を何杯も飲んだ。結果酔っ払った。またまた人生初めての悪態を店員についた。悪態をつく自分に自分自身驚かされた。ダンボール効果だろうか?自分で自分を隠さなくとも、ダンボール箱が勝手に自分を隠してくれるので、今までの様に人に気を使わなくとも、何をしても許される気がする。こうなったら、これからは、何かと横暴に振舞ってやる。と思ったのも束の間、元来持った性質がそう簡単に切り替わるものでなく、浩は店員に、
「酔っ払ってついつい、、どうも、すいませんでした」と、ダンボールのかぶさった頭を下げた。店員は、全く気に留めてない、そんな事をいちいち気にしていたら、こんな仕事やってられない、と言った風に「あぁ、はい」と短く返した。
浩は居酒屋を出て、夜の街をそぞろ歩いた。沢山の人々とすれ違う。世の中にはとても沢山の人々が息をする。自分もその沢山の人々のうちの一人だ。今この一瞬にも、死ぬる、生まれる。大勢がそれぞれ自分勝手をしたらどうなる?人間がやる事だ。滅茶苦茶になりそうだ。とりあえず滅茶苦茶にはなってない。と言う事は、皆それぞれ自分を上手に隠して生きているのかも知れない。酔っ払っているせいか、浩の目に一瞬、街の人達全員が顔にダンボール箱をかぶって映った。
「あれっ?」と浩は思った。帰り道彼は外からマンションの自分の部屋のあたりを見上げた。303号室の窓から灯りが溢れている。誰か越してきたのか。そう思い、浩はマンションのエントランスをくぐった。
次の日彼が仕事から真っ直ぐ部屋へ帰り、一息ついていると玄関のチャイムが鳴った。はい、と彼はインターホンで応えた。
ダンボールマン