テーマ:お隣さん

ダンボールマン

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読者賞について

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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 まず左隣のは301号室に浩は挨拶へ行った。表札にアルファベットでタケウチと書いてある。呼鈴のボタンを押すと、ちょっとして「はい、どなた?」と、気だるそうな男の声がインターホンからする。「隣に越して来た佐藤と申します」そう浩が返事すると男は、「はいちょっと待って」と言って、俯き加減に玄関を開けた。
「ほんの気持ちですが、お近づきの印にどうぞ」と浩は男に、タオルの入った箱を差し出した。
「ありがと」と、そっけなく男は言って、俯く顔をあげた。刹那二人の目が合った。浩は胸をドキリとさせ、腋から嫌な汗を流した。タケウチはダンボールをかぶって挨拶へ来た隣人に、どんな態度を見せるだろうか?浩は箱の中の顔を引きつらせた。が、男はダンボールをかぶる隣人を目に、まるで何事もなかったかの様に「それじゃあ」と短く言って、また俯き、玄関の中へひっこんだ。
 303号室の呼鈴を押す。中から何の反応もない。もう一度押す。人の住む気配がない気がする。表札を見る。何も書いてない。「あれっ、ここって空室だったかな?」と浩は首を傾げた。その時、304号室の玄関がガチャリ開き、中から四十代ぐらいの女が出てきた。女は浩に気づき、彼に目を向けた。彼はまた胸をドキリさせた。が、矢張り女もタケウチと同じく、ダンボールをかぶる浩を目に全く驚きもせず、
「あっ、そこねっ先日越して行ってねっ、今誰もいないわよ」と教える。浩は、
「そうですか。自分、今度302に越して来た佐藤と言います。どうぞよろしく」と会釈した。女は「あ、そう」と言い、軽く会釈を返し、通路を去った。
 誰もダンボール箱をかぶる自分の事など気に留めないのだと、浩は悟った。母親が帰った後、彼はコンビニに買い物に行った。先に思った通り、すれ違う人誰一人として表情一つ変えなかった。皆何事もなく通り過ぎて行く。ダンボール箱を顔にかぶっていようが、なかろうが、何も変わらない。否、かぶっていると却って気が楽だ。作り笑いをする手間が省ける。それに何となく落ち着く。ダンボール箱を顔にかぶる自分が、天然自然な姿なのかも知れない。そんなふうに彼は思った。

 めでたく入社式を迎えた。浩は新しいスーツに身を固め、ダンボール箱を顔にかぶり式に就く。同期の皆の顔がフレッシュに輝いて彼の目に映る。式の途中、新入社員一人一人が起立し、この先の目標、社会において自身が果たすべき役割、などを皆に向け話さなければならなかった。堂々となかなか立派な話をはきはき話す者がいる。もじもじと要領を得ない話を照れて話す者がいる。型にはまった様な話をそれらしく話す者がいる。それぞれが順番に色々を話していく。浩の番がきた。ダンボール箱を顔にかぶった彼は、自分が何を話そうと誰もちゃんと聞きゃしない、と考え落ち着いたものだ。

ダンボールマン

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