テーマ:ご当地物語 / 金沢

予感のゆくえ

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 こんな時にもコウタ君は慌てたりせず、可奈子の涙を見守ってくれていたから、可奈子は安心して流れるままに涙を流せた。
 不意に頬が熱くなり、瞼を開ければ、それはコウタ君の柔らかい頬。頬ずりされるってこんなにも心安らぐことだったんだって、知らなかったよ。
「淋しくなりますね」とコウタ君。――最後の最後まで、私に対しては丁寧語なんだね。
 おかげで私は、コウタ君との間柄を恋愛と勘違いしないですんだし、コウタ君に対する私の気持ちが母性的だったことにも気づかせてくれたね。
 可奈子をアパートの前まで送ってくれたコウタ君。「お元気で」って右手を出した。
「コウタ君も」と可奈子は左手。
「また、きっと会えますよね」
「うん。またきっとね」
 ――それがたとえ儚い約束でも……。

 可奈子が金沢に越して来た日、金沢はこの冬一番の大雪に見舞われた。
可奈子の乗ってきた電車も大幅に遅れ、引越しのトラックも大幅に遅れた。
 空はこの地方の冬の色だという鉛色。電車も車も自然の猛威の前では立ち往生し、歩く人のみ強かった。可奈子も慣れない足取りで、この日泊まるホテルまで歩いた。
 ダンボールの箱が積まれた殺風景な部屋で初日の夜を迎えたくはなく、始まりの日は新居に荷物を運び込むだけ。夜はホテルで宿泊の予定にしていて良かった。
電車の窓から一人眺めた雪景色に、人恋しさが募った肌には、フロントの女の人の「お待ちしておりました」の一声が、どれだけ温かく感じられたことか……。
 もう少ししたら、自分が「お待ちしておりました」を使う番。自分でも知らないうちに自分が誰かの温もりになっているのかもしれない。それがお客様商売の醍醐味なのだと思える自分は、やっぱりこの仕事が似合っているのかな?
 もどかしいくらいに自分の感情を表に出せないところも、人見知りなくせに人懐っこいいところも、自分がこれから身を置く世界では案外必要なことなのかもしれない。
「お客さんに日常を見せないことが私たちの仕事」だと、中陣で可奈子は教わった。
「その点、可奈ちゃんは普段から生活感ってもんがなくてええなぁ」というのも、今後、それが可奈子の心構えになることを示唆していたのかもしれない。
 お客様を迎えるって、そういうこと。自分を表に出しすぎない。その一言。
――雪に閉ざされたために生じた初心、忘れるべからず……ってところかな。
そんな標語みたいな決心を、可奈子はとても気に入った。

予感のゆくえ

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