テーマ:ご当地物語 / 金沢

予感のゆくえ

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「どうしたん?可奈子」と内なる理性のお叱りも、可奈子の耳に届くことはなく、
「あ」「うん」の会話が次の約束に広がり、次の約束が次の約束へと繋がっていった。
お互いがお互いの全てをさらけだすのではなく、浮き浮きした気分だけを共有している不思議な関係。「楽しいことだけを共有している」のか「二人でいるから楽しい」のか、目と目で笑いあうだけの仄かな幸せを、可奈子は生まれて初めて知ったように思う。
「コウタ君もそうでしょう?」
 こんな自惚れも許されるほど、可奈子と一緒にいるときのコウタ君は、可奈子と同じくらい楽しそうに見えた。
 でも、楽しいだけの関係からは何も生み出されないんだよね。
卒業後の就職先が、ハウスウエディングも行う古い邸宅の厨房に決まり、これから世間の波に揉まれていくコウタ君の横に、自分はなんて不釣合いなのだろう。
 コウタ君が、ごくごく普通に小さな子どもをあやした姿に切なくなったり、休日のスーパーで、赤ちゃんを抱いている旦那さんの表情に、コウタ君の近い未来を重ね合わせてしまったり……。止められない時間に脅えた。
 身が引き裂かれそうなくらいに淋しいけれど、今が、ちょうどいい引き際。
 ――季節は二人が出会った秋を過ぎ、二度目の冬を迎えようとしていた。

「金沢に行く前に、僕の素敵な写真を見てみます?」
二人の行きつけだった居酒屋のテーブル席で、コウタ君は、ジーンズの後ろポケットに突っ込んでいた財布の中から、一枚の写真を取り出した。
そこに写っていたのは、浮き輪にお尻を入れて海の水に浮かんでいる、丸坊主頭の男の子で、その笑顔の可愛らしさに、可奈子は思わず、写真を胸にそっと押し当てた。
それは、あまりの愛おしさから出た無意識の行為で、可奈子が両手で抱きしめたのは、一枚の写真ではなく、一枚の写真の中にいる小さなコウタ君。
「どうして、私がコウタ君の子供時代の写真を見てみたかったって分かったの?」
「うーん。なんとなく、以心伝心ってやつです」
「以心伝心かぁ。それならこの写真、きっとコウタ君のお父さんが撮ったんだよ」
「透視ですか?」
「うん。だってこの写真、お父さんの目に映る子供の姿って気がするもん」
――そしてコウタ君もあと何年かしたら、お父さんの目で子供の写真を撮っているんだね。そう思ったとたん可奈子の目から涙が溢れた。それは、自分でもびっくりするほど不覚のうちに溢れた涙で、悲し涙みたいな温度がなかった。

予感のゆくえ

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