テーマ:ご当地物語 / 金沢

予感のゆくえ

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「東京のお金持ちさんがオーナーだったものでしてね、ここぞ金沢いう場所にあります。
僕ンとこの金沢の支店は、式の後の料理をそこにお願いしていたんですが、ほんま、ええ料理を出してくださいましたのに、なくしてしまうなんて忍びない。ならば、うちが買い取りましょうと、道楽半分、商売半分で、オーナーになってしまったというわけです」
 その店の女将さんになってほしい、そういう話の流れである。あまりにも唐突であまりにも突拍子もない話に、可奈子はすっかり気が動転して、
「私にはとても務まりません」と否定するのが精一杯。
「何がなんでも絶対に無理だと?」
「はい。私には経験がありませんし、第一、私は人の上に立つ器ではありません」
「でも、あなたには特別な親しみやすさがあります。上手いこと言えませんが、もう一度あなたに会いに来たくなる、そんな懐かしい感じの何かです。ですから、無理を承知でこうして頼みに参りました。可奈子さんには可奈子さんの生活の基盤いうモンがありますこと百も承知のうえでです」
可奈子の脳裏に、コウタ君の名前が浮かんで消えた。ここで思い浮かべてはいけない名前なのに、やっぱり浮かんでくるのは彼の名前で、それが悲しくて――それを振り払うように、可奈子は少しだけ首を横に振った。
「今日は、いますぐの返事を期待して来たわけではありませんから、どうぞゆっくり考えてください。後は、可奈子さんの動物的勘に期待するのみです」
「動物的勘?」
「あなたが、この店に飛び込んで来たときみたいな、条件抜きの直感です。可奈子さんは、あの募集広告を目にして、この店にやって来たんですよね?」
 氏のおっとりした尋問に、可奈子はゆっくり頷いた。事務経験しかなかった自分が、
“着物に興味のある方大募集。着付けは、こちらで責任を持ってお教えします。詳細は面接時に。美味しいまかないつきます”の一文に惹かれて、即座にここに電話したのは、そう、まさに動物的勘の閃き。
「今時、こんなんで、人が集まるんかいなって内容でしたよね、あれは」
と可笑しそうに顔をほころばせる氏につられて、可奈子の目元もついついほころぶ。
「でも、ここの若女将、これで寄ってきてくれた人が、うちとことご縁のある人や言うて、えらく強気でしたわ。そうしたら、可奈子さんみたいな美しい方が現れてしまって、ほんま驚きました。まさに現代版おとぎ話や……思いましてねぇ」
 可奈子はいつもの癖で、目をつぶってクスッと笑った。氏の愛嬌ある物言いが、可奈子の心をぎゅっと摑んだ。老若男女を問わず、そこはかとなく愛嬌のある人に可奈子は馴染んでしまうから、どこか愛嬌のある相沢氏を信じてみたいと可奈子は思った。だから、

予感のゆくえ

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