6番レフト
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「先輩を思いきり殴っちゃって、それで逃げるように辞めたんだ。どうしてそんなに腹が立ったのか、今ではもうよく覚えてないから不思議だね。でもその時の感じって今でもよく覚えてるんだ。今でもその感覚が近くにあるのがわかるし、多分小さい頃からあったんだと思う。カーテンを引くみたいに、すごく簡単に解放されちゃうような感じなんだ。だから恐いんだよね。自分でも。一発目が先輩の下顎に当たったんだけど、思っていたよりもすっきりと入らなかったから少し様子を見ていたんだ。でも割と効いてるみたいで、意識が上手く体と連動していないみたいだった。それで僕は冷静にその先輩の様子を見ながら重心を安定させてベストな間合いからもう一発。完璧だと思ったよ。止まってるボールを思いきりフルスイングするみたいだった。手の痛みなんか全然感じなかった」
「気持ち良さそうだ」とカスミ君は感心するように相槌を打ってくれた。
「次の日、授業が終わってからその先輩の教室に謝りに行ったんだ。頬が少し腫れていたけど、陽気にクラスの人と話していたから安心したよ。それから練習に遅れない程度に先輩何人かに殴られたり蹴られたりして、僕も同じように頬を腫らして体のあちこちにアザを作った。結構痛かったけどやられながらいい思い出になると思ったよ。それで僕は部を辞めて、そのことが直接的な原因だとは思ってないけどサチとも別れた。それで面白いんだけど、僕はもう一回先輩たちに袋だたきにあったんだ。夏の最後の大会で先輩たちが負けて校内でたまたま副キャプテンと擦れ違って軽く頭を下げたんだ。そしたら腕を掴まれてちょっとこいって言われて、それで。突然だったから驚いたし、どうにか逃げ出したいと思ったけどダメだった。黙ってボコボコにされるしかなかった。それで終わったと思って先輩たちのことを見たら寂しそうな目をして歩いていこうとしていたから、下手くそ! って言ってやったんだ。そしたら激怒してまたこっちに向かってきて、それを見てた誰かが先生を呼びに行ってくれて少しして終わったけど」
「楽になったか?」
「一時的には楽にはなったと思うけど、大変なことは増えたかな。親しく話せる人もいなくなったし、それに高校を卒業して進学せずに地元で働く奴なんて殆ど周りにはいないしね。いつも大体一人でいたからそれに慣れることは慣れるし、その方が現実的だと感じるようにはなっていったのかな。でも友人じゃない人でも、考えが違うような人でも話ができるってのはやっぱりいいね。最近になってようやく素直にそう思えるようになってきた。成長したのかな?」
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