テーマ:一人暮らし

6番レフト

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読者賞について

あなたが選ぶ「読者賞」

読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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「ご飯食べ行かない?」
「いいですよ」と僕が言った瞬間、店の扉の開く音。
「今日は遅いね。どこかで飲んでたの?」
「先輩と二軒」
 ワニ君はそう言って木に登るように席に着いた。疲れた顔、重そうな体。
「スッキリしてるの、何か」
「うん、少し待っててね」
 僕は黄川さんに電話するよと言って、ワニ君にミント・ジュレップを作った。
「始めて飲んだ」
「ちょっと変わった味じゃない?」
「うん、変な味がする」
「タバコ吸う?」
「いいや」
「吸いなよ」
 僕は彼の前に灰皿を置き、彼の話に耳を傾けた。
「来月で今の仕事を辞めて先輩の紹介で別の仕事をすることになったんだ。先輩って今の職場のじゃなくて部活の先輩だった人なんだけど。給料は結構下がることになるし、まあそれは別にいいんだけど。あまり大した仕事じゃないみたいなんだ。かなり楽ってその先輩も言ってて。別に楽でいいんだけどさ。でもこんなはずじゃなかったって毎日体から音がするんだ。ドアを叩くような。それでたまに胸のあたりが苦しくなる。でもそれをどうすればいいのかわからない。そんなこと考えなければいいんだとは思うんだけどさ、それに仕事を真面目にキチッとやればいいだけの話だとも思うし。だから任される仕事はきっちりやってきた。それで通帳を見ればそこそこ数字が並んでる。でもそれでお終いだよ。グルグルと特定のところをまわってるだけ。誰も本気では褒めていないってのもわかる。別に26にもなって誰かに本気で褒められたいだなんて思わないけどさ。でも昔は小さい頃はもっと機嫌よく色んなことがまわっていたような気がするんだ。自分がちゃんと成長しているってことがわかったし、良いことと悪いことの区別も感覚的に理解できた。それを周りの人と共有できていたような気もする」
「ワニ君はスポーツエリートだもんね」
「ちゃんとその筋書き通りやってきたんだ。もちろん自分でもそれを望んでいたし、周りもそれを望んでいると思っていたからね。それでスポーツ推薦&スポーツ推薦さ。新チームになれば決まってキャプテンに選ばれる。ワニ頼む、ワニよろしく、お前がキャプテンだからって。頑張りますとか言って一年間上手いことやるんだ。でも今はなんて言うか、自分が何を望まれているのかがまるでわからない。これが現実なんだって思うしかないのもわかっているけど、ついつい余計なことを考えちゃうんだ。おはようございます? お疲れ様です? ありがとうございました? そんなこと毎日言ったり言われたりして一体どうなるんだ? とかさ。みんな何か目的があるようにも見えないし、何も考えずに流れで言葉を話したり動いているようにしか見えない。そういう型をみんなどこかで習ったりしたのか? 俺がずっと見下してた奴らはこういう現実をずっと前から生きていて、俺もそういう体力がなくて大して頭も良くない奴らのように生きていかないといけないのか? そんなことばかり考えちゃうんだ」

6番レフト

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