テーマ:お隣さん

みどりの手紙

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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私の話を、翠さんは途中からワイングラスの縁を親指で撫でながら黙って聞いていた。その表情は何かを考えているようにも見えたし、反対にもう彼の中では結論が出ているようにも見えた。恐らく、後者だろう。
「確かに、鈴子さんが言うようにその隣の部屋の女の子のストーカーが間違えて手紙を入れている、という可能性もあるのかもしれませんが、それは極めて低いでしょうね」
「そうでしょうか」
「それだけ粘着なストーカーなら二か月以上ずっと部屋を間違えているとは思えません。きっと彼女の情報を一通り把握しているはずです」
「確かに、そうですね」
もっともな翠さんの意見に私は頷くしかなかった。
だとしたらあの手紙は私自身へ宛てたものということだろうか。誰かに好意を抱かれるような覚えは全くなかったし、私のような女をストーカーしようとする人がいるとも思えなかった。
私はゆっくりと頭を振った。
「でも、私へ宛てたものだなんて、やっぱり信じられません」
「鈴子さん、」
不意に翠さんの手が私の手の上に重ねられた。驚いて翠さんを見ると、切れ長の彼の目と目が合った。
翠さんの細い目はまるで能面のようで、それは子どものころ私を恐怖させた近所の和菓子屋に飾られていた面を思い起こさせる。だけど、その双眸の奥に確かな瞳の光を確認できると私はどこか安心した。
久しぶりに翠さんの顔をこんなにしっかりと見たなと思った。すっきりと高く綺麗に伸びた彼の鼻梁は、とても魅力的だ。
私は手を握られながら翠さんの次の言葉を待った。驚きつつも何かを期待している自分がいた。
しかし、翠さんの手は予想外にすぐ私から離れた。冷たい手だったと、何故か私は手が離れてからその体温を感じていた。
私に触れていた手を、翠さんはテーブルの上で組んだ。
「僕をボディガードとして傍に置くという選択肢もあります」
「え?」
「恋人として、と言いたいところですが、それだと警戒されそうですし」
冗談を言っているのかと思って翠さんの顔を見る。けれど翠さんはしごく真面目な顔をしていたので、本気で言っているのだとわかった。そして、それが翠さんなりの愛の告白だということも。
「僕が緑色のレターセットでわざとあなたに匿名の手紙を出し、どこかにストーカーがいると勘違いさせ怖がらせ、恋人にしてもらう、という筋書きかもしれませんよ」
ふふっと、翠さんが笑ってワインのボトルに手を伸ばした。多分それは冗談なのだろう、細い目を更に細くして笑んだ翠さんが少なくなっていた私のグラスにワインを注いでくれる。

みどりの手紙

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