それからの、一年
木陰に誘われるまま歩くうち、私は森の散策路の入り口へと到着した。脇に設けられた看板によると、ここは『帯広の森』。帯広市を取り囲むように残された自然林のようだった。
森というよりは、原生林というほうがしっくりする風景だ。ナラやブナの巨木と、大量の針葉樹。そして、それらの合間で樹床を覆う、クマザサとエンレイソウの花。倒木に絡みつく、名の知れないツタ。
そのまま散策路に足を踏み入れると、周囲の気温が急に下がった。地面がアスファルトから腐葉土に変わったせいだろうか。それとも、木々の間を抜ける風のせいだろうか。しっとりとした涼しさを胸いっぱいに吸い込むと、私はさらに、森の奥へと足を踏み入れて行った。
森には、道東の野生が詰まっていた。遠くを走り抜けるキタキツネの親子、そこかしこを走り回るエゾリス。カスタネットのような音を立てているのは、木をつつくクマゲラだろうか。
青く抜けるような空を、くっきりと切り抜くマツのシルエット。それが左右のパノラマを、どこまでも果てしなく続いている。視界に映る帯広の自然が、まるでNHKのドキュメンタリーのように美しかった。
そよそよと笹原を鳴らす風が、小川の面を渡ってさざ波を立てる。若いエゾシカが、跳ねるようにその川を登って姿を消した。私の足元には、ナラの梢を射抜いた陽光が、黒と白のモザイクを投げかけていた。
これが、現実の光景なのだろうか。私は自身の肌が感じる日差しや、自身の鼻が嗅ぎ取る匂い、そして自身の目が映す自然の姿を、疑わざるを得なかった。
私にとって自然とは、空調の設定温度であり、通勤電車の匂いであり、デスクトップに映る平面な山並みであった。
自然とは、こんなにも生々しいものだったのか。私は目の前の、エゾマツの老木を絞め殺そうとしているヤマブドウをそっと撫でてみた。ざらざらと冷たい。思いのほか、滑らかな手触りではないようだ。かがみ込んで触れてみたササの葉も、無数の毛が生えていて、触る方向によってはちくちくとする。
倒木の洞から芽を出したドングリや、朽木を覆う鱗のようなキノコ。そうだ、こんな庭を造ろう。私は、これまで考えていた、こじんまりとした花壇のイメージを捨て、もっと力強い庭を造ろうと心に決めた。陽が傾くまで森を散策し、自宅へ帰ったころには、もう足が痛くて仕方なかった。靴下を脱いでみると、すっかり靴ずれができてしまっている。
溜息とともに、かかとをそっと撫でてみる。それはまるで、ヤマブドウの手触りのようだった。私は微笑むと、そのままリビングのソファーで、ぐっすりと寝込んでしまった。それはこれまでに経験したことがないほど深い眠りで、私は洞の中のドングリのように、朝まで目を覚ますことがなかった。
それからの、一年