テーマ:ご当地物語 / 北海道帯広市

それからの、一年

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 札幌から帯広へ向かう特急の中、私は陽の落ちた車窓が反射する自分自身の姿を見つめていた。
 いつの間に、こんなにも皺が増えたのだろう。手入れのされないままに伸びた髪は、まるで老婆のそれのように、油気がなく好き放題に跳ねていた。長く口紅さえ塗ってこなかった唇は、見るからに乾燥し、くすんでいる。
 こんな自分は、はたして惨めなのだろうか。車窓に映る老婆の姿に、私はゆっくりと語りかけていた。
 まともに恋愛の経験もなく、もちろん夫も子どももない。おまけに、三十年間勤めた職場も、先月やめてしまった。五十三歳の独身女、そして無職。惨めな肩書をぶら下げた車窓に移る老婆は、それでもなぜか、目じりを下げて微笑んでいた。
 そう、私は惨めではない。だって、惨めだったかもしれない自分と、決別したばかりじゃないか。
 大学卒業後に就職したのは、女性しかいない特殊な職場だった。お局のいやがらせを必死で耐えているうちに、いつのまにか自分がお局になっていた。電話口で涙ながらに謝罪の言葉を並べつつ、インスタントコーヒーの詰め替えを出来るくらいには逞しくなったが、そんな自分を見る若い職員の目には、明らかに惨めなものを見る色が宿っていた。
 不意に、おもちゃのオルゴールのような音楽が鳴り、気だるそうな車掌の声が終点を告げた。三時間あまりの旅の果て、ようやく私は、帯広に到着したようだった。
 それからしばらく、車内は大騒ぎだった。大きな紙袋やトランクケースを下げた乗客が、皆ざわざわと出口へ群がる。楽しそうな家族旅行や、退屈な出張や、そういった何事かを終えた人々が、帰宅しようとしているのだ。彼らが皆下車した後で、ようやく私も腰を上げた。
 衣類や家具はもちろん、荷物はすべて、引っ越し業者にお願いして新居まで運んでもらう手筈になっている。札幌の自宅を引き払い、何のゆかりもない帯広へ移住する私は、他の乗客と比べても、思いのほかに身軽だった。すっかりくたびれたカバンを一つだけ抱えて、私は帯広駅のホームに降り立った。もう五月だというのに、夜気は身震いしてしまうほど寒かった。
 何もはじめから引っ越そうと思っていたわけではなかった。ただ、もうどうしようもなく現状が嫌になり、ついに早期退職を決意したとき、折り込みチラシについていたのが、偶然にも不動産会社の広告だったのだ。
 札幌からできるだけ遠く。庭が付いていて、手ごろな値段の中古住宅を。そんな依頼を受けた不動産会社もさぞ大変だっただろう。しかし、私がせかす間もなく、すぐにこの、帯広の物件を探し出してくれた。

それからの、一年

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