かさねぐらし
何も考えないようにすると、本当に何も考えられなくなる。痛みを耐えているうちに痛みがわからなくなる。
ひとりで暮らしているとひとりになれる。
扉を開ける。彼は壁を背に体育座りをして顔を埋めている。私が電気をつける。彼は身じろぎすらしない。鞄を床に置いて、彼の隣に膝をつく。耳を澄ませば寝息が聞こえる。
静かに着替えを済ませた後、クローゼットから取り出したブランケットを部屋の端っこでぱたぱたと揺らす。細かな埃を落として、そっと眠っている彼の方に近づく。首の後ろに両端を回す形で掛けようか、と考えていたところで彼が勢いよく頭を上げたので私はぎくりと一歩だけ足を引いた。
「あ、おかえり」
「はい。ただいま」
「……そのブランケット、何ですか」
小首をかしげた彼に対し、私はブランケットを体の後ろに隠し持った。
「あの、その、いらないのに、持っていきなさいって、母が、私に押し付けたブランケットです」
「そういう意味ではなくて……」
顔が熱くなって、私は後ろに回した手でブランケットをぐるぐるとまとめる。
「でも、私は母を責めることができないですね。あはは……これは自分で使おうと思って引っ張り出したんです」
そのまま立っているのも変だろうと、彼の隣に座る。ブランケットを前から掛けて膝を隠す。じーっと刺さる視線を避けて俯く。浅い笑い声が耳元をくすぐる。
「もしよかったら、そのブランケットに僕も入れてくれませんか」
「ブランケットに……入れる?」
「図々しいですか」
「あ、いや、その前にブランケットにどうやって入れるんでしょうか」
頭からずっぽり掛ける? 彼が私の膝からブランケットを剥ぎ取って、私の右肩と彼の左肩にそれぞれ端を置く形でブランケットを掛け直した。
「こうやるんですよ」
「これがブランケットに入る……?」
「いや、言い方はこの際どうでもいいでしょ」
彼はくつくつと笑って、肩で私の側面をぐいぐいと押してきた。負けじと私も肩で押しかえす。互いにヒートアップして、押し合うはずみでブランケットが二人の肩からすべりおち、二人のための膝掛けになる。
「道路が近いのに、ここはずいぶん静かですね」
「そうですね。たまに前にある道をふざけて歩く人たちの笑い声が聞こえるくらいで、あとは何も」
「うるさすぎましたか」
「ひそひそしましょう」
「そうしましょう」
私たちはさらに身を寄せ合って、ベッドと出窓ぐらいしかない視界前方をぼんやりと眺めた。急いで走る車の音が聞こえ、遠ざかる。先ほどより深い沈黙だけが残されて、そこに彼のため息が響いた。
かさねぐらし