テーマ:一人暮らし

かさねぐらし

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 天井の室内灯と徒然草の一冊を並べて私はぼんやりと考えた。
 ――鏡に色や形があれば、姿は映らなかったであろう。
 古語を理解するための重要なポイントも含むその一文の先には、こうある。主人のいない家には悪いものが入ってきやすいように、心に主人がいなければ心に何かが入ってきやすい。
 だから、そうなのだろうか。天井に伸ばしていた手を降ろして、ごろっと寝返りをうつ。
 部屋中央に置いてある傷だらけのローテーブルを前に、男はゆったりと座椅子に背を預けて、何の柄もついていない深めの白い皿に醤油を垂らした。皿の隣に置いていた豆腐のパックを無造作に開けて、水を切ることもなくそのまま皿にぶちこむ。その上にまた醤油をかけて、彼は箸で豆腐の真ん中をちょんちょんとつついては、ぼろぼろに崩し、持ち上げた皿を傾けて一気に口の中に流しこんだ。
 彼の朝食が決まって豆腐であることを知っている。しかし、私は彼がだれであるのかは知らない。
 いつの日からか、私は見知らぬ住人と部屋を重ねて暮らすようになっていた。どういう仕組みなのかは分からない。ただ、私のベッドしかないワンルームに、突如として家具が設置され、人が住みつくようになった。住みつくといっても、その住人は私を認識しないし、私は置かれた家具を片付けることもできない。だから私はこう考えた。重なっているのだ。
 もともとはそれぞれ個であった、だれかの部屋と私の部屋が重なって一つに見える。
 ひとりぐらし、ふたりぐらしに並べて、かさねぐらし。

 乱雑の中を女性の白い足が掻き分けて進む。黒々とした何かが浮いたペットボトルを蹴っ飛ばして一躍、ベッドに寝転ぶ。がちゃごちゃと物がひとりでに位置を変える音がして、やがて静まる。私は見知らぬ女性と添い寝するような形で、天井を見る。
「今日も何もできなかったな」
 彼女がぽつりと呟く。ちらりと見えた歯に青のりがついていた。先ほど紙皿に乗せて食べていたお好み焼きのものだろう。彼女は横たわりながら丸まるようにして身をぎゅっと固める。
「三連休だったのに。金曜日に、ずっと考えてたのに。掃除をしよう、買い物に行こう、貯めていた本を読もう、洗濯をしよう、録画していた番組を見よう、新しいことをはじめよう……」
 ぽたっ、ぽたっと水音が聞こえる。彼女が蹴っ飛ばしたペットボトルから零れだしたのだろうか。ぼんやりと部屋を見渡してみる。ペットボトルと紙パックのジュースゴミ、倒れたゴミ箱、脱ぎかけの服が床に散らばっている。壁一面に置かれた五段ほどの本棚には本が無造作にはみ出て、天板の上には文庫本が不揃いに積み上がっている。大きなテレビの対面に置かれたソファにはリモコンが投げ出されている。リモコンはここから見ても、少し脂じみて見えた。

かさねぐらし

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