テーマ:ご当地物語 / わかばニュータウン

夢のあと

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 直しても直しても、「立ち乗りシーソー」でしょっちゅう折られてしまうものだから、木肌がむき出しになった木製の馬の取っ手はほったらかしにされていたのですが、ぶらんこの撤去のついでに修理されました。しかし、その取っ手は、いつまでもぴかぴかのままでした。なぜなら、「立ち乗りシーソー」をする子供がもういないから。主のいない公園はしんとしずかです。
 「わかばニュータウン」は、年をとりました。
 かつて団地の屋上の避雷針は堂々と天を突き、倒れた自転車でさえ、それを再び起こしてくれる者がいるという確かな自信から地面に身を委ね、うたたねでもしているかのように悠然として見えました。駐輪場の塀ごしの角は、死角でありながら、それでも明るく整然としていたというのに、今では、すすけた三輪車が打ち捨てられ、時折起こる風に、バイクにかぶせられた鈍色のカバーが膨らみます。
 マンションの、カーテンのついていない窓は空き家です。空き家のドアには、テープでばってんが貼られているそうです。縁日をやらなくなってから、もう三年以上たちました。ななこは、たけるは、元気にやっているでしょうか。
 最後の卒業生を送り出したわかば小学校は廃校となり、校舎のスロープを活かして老人ホームとなりました。若い家族ばかりだった「わかばニュータウン」の人々は、もう若くはないのです。子供が成長して、もう子供ではなくなっていったように。
 私は、すべり台です。人は、私のたちことを、「遊具」と呼びます。私も、シーソーも、そしてぶらんこもかつてそうだったように、子供が遊んでいる時にこそ、私たちはただ遊具たらんとして、無邪気にその努めを果たすことができました。老いた町で遊ばれなくなった遊具は、昼も夜も、降り積もる時の重みに耐えながら、そこに在るしかないのです。もう時間になっても、噴水はあがりません。これが噴水であったことを、皆が皆、忘れてしまったようでした。
 ななこが住んでいた一棟も、たけるの住んでいた三棟も、空っぽの窓ばかりになりました。二棟に住んでいた最後の住人が立ち退きに応じると、とうとう「わかばニュータウン」の団地は、もぬけの空になったのです。

 たけるとの再会は、思いがけずやってきました。
 トラックやショベルカーやクレーンなんかが列をなしてやってきて、トラックの荷台からいちばんに降り立ったのは、ヘルメットをかぶった、たけるでした。
 胸板ががっしりと厚くなり、作業着からぬっと突き出した腕は日に灼けていましたが、間違いありません。腕組みをして仁王立ちし、団地をぐるりと見渡すと、足もとの落ち葉に目を落としてつぶやきました。

夢のあと

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