テーマ:一人暮らし

花も涙も置ける部屋

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 おかあさん。私は、死んでるの?

 柊也に呼ばれて、秦野さんの部屋に向かった。カレーを作ってくれる話は前からあった。涙はもう乾いたし、もうふつうに話せる。そう思った。
私は、死んでなんかない。
「おかえり」
 アパート奥にある秦野さんの部屋。暖かくて、カレーのいい匂いがした。柊也も顔を出した。おじゃまします、と部屋に入ると秦野さんはすぐにカレーをよそってくれた。暖かくて優しい香り。
「なんか買ったのかい?」
 カレーを食べながら首を横にふる。
「欲しいもの、見つからなかったかい」
 小さく頷く。
「なんか、元気ないねえ。いっぱい食べな。食べたら元気でる」
 柊也がじっとこっちを見ている。心を見透かされそうで怖くなる。
「目が、ふわついてる」
 真顔で突然そう言う柊也。
「家がないやつの目は、ふわつくんだ」
「なに?」
「家が欲しいって、俺はずっと思ってる」
「……家、あるでしょう? 中島中学の裏だって言ってたでしょう」
「違う。家は、雨から逃げてきたり、楽しいことを持ち帰ったり、嫌なこともいいことも全部背負ってたもんを床に置ける、安心をくれる場所のことだよ」
 真剣に話す柊也を優しく見てから秦野さんは腰を上げて台所のほうへいった。
「柊也は、ない?」
「ない」
「……あたしも、ないかな」
 こんなこと言う人、初めて会った。だからはじめて、そんなこと言った。
「家はないけど、俺はいつでもいるから」
 ニンジンのないカレーをじっと見つめて柊也が言った。
「友達だろ?」
 嬉しかった。どきどきするくらい嬉しかった。
「ありがとう」
 カレーを二杯も食べた。悲しい気持ちになると私はいつも何も食べることができなかった。今までだったらきっと、あの家だったらきっと、私は何も食べないで寝たと思う。それなのにこの日は倍以上食べた。おなかが満たされると本当に元気が出たようだった。秦野さんと柊也とお笑い番組を見て一緒に笑った。皿洗いや片づけを手伝って、秦野さんはいつもみたいにたくさん褒めてくれた。いつの間にか悲しいあの家の匂いはなくなっていた。
「俺、もう仕事いくね」
 柊也がそう言ったのは夜10時だった。
「お店やってないよ?」
「今日は現場」
「現場?」
「バイトだよ」

「またバイト増やしたのかい」と秦野さんが心配そうに言う。
「うん。金稼がないと」
「だめだって言ってるだろう、そんな」
「大丈夫だよ。俺若いから」

 柊也はさっさと家を出ていった。
「なんでそんなに働かなきゃいけないんだろうねえ、子供が」

花も涙も置ける部屋

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