Forget Me Not
「ねぇ!」
声をかけたが、女の子は腰を上げず、肥料をまくのに忙しい。目の前の女の子は、透き通ってなどいなかった。輪郭もしっかりとしており、いつものような頼りなさもない。僕は、つい、女の子の肩に触れた。手のひらに、しっかりとした感触があった。女の子は小さく悲鳴をあげて飛び上がり、僕も悲鳴を上げて飛び退いた。触れた。これは、錯覚なんかじゃない。女の子は、あたりを見回してから僕のことを上目遣いに眺め、おそるおそるつぶやいた。
「…あたし?」
夢の中で聴いた彼女の声よりも、か細かった。僕はうなずきながらも、
「……きみなの?」
と尋ねている。なんだか、ちぐはぐだ。僕がふたたび伸ばした手を、女の子はさっと身を引いてかわし、困ったように首を傾げた。僕のことを不審に思っているというより、誰かから声をかけられるということに、あまり慣れていない様子だった。僕は手を白衣のうしろへ引っ込め、
「えぇと、突然ごめん。僕は、工学部の一年生で、学生寮のA棟205号室に住んでるんだ」
そう告げると、女の子はすこしだけ表情を緩めた。
「あたしも春まで、そこに住んでた」
と、目を細めて額の汗をぬぐう。女の子は、まくった袖を戻したり折り返したりしながら言った。
「205は、元気にしてる?」
まるで、ふるさとの友達のことを尋ねるような口調で。
日は高く、まぶしかった。工学部の僕が、なぜこれまで気づかなかったのだろう。女の子は、幽霊でも、僕の幻覚なんかでも、なかったんだ。女の子のあごからしたたった汗はぽたぽたと落ち、バイオプラントの土の地面に濃い点々をつくった。
昼休みのあいだ、僕らはバイオプラントのそばのカフェで話した。女の子—もう名前を知ったので、マナさんと呼ぼう—は、ぽつりぽつりと話した。農学部の三年生で、このバイオプラントをまるまる任されているというのだから、ずいぶん優秀な学生なんだろう。
「ほとんど一日中、バイオプラントにいるわ」
マナさんはそう言ったあと、言い訳のようにあわててこう付け足した。
「土の成分を調査したり、成長具合を研究したり、データを管理したり。やることは尽きないもの」
マナさんは、教養課程のあいだの二年間、いま僕が住んでいる205号室で暮らしていたそうだ。教養課程が終わると、学生は新しくやってくる後輩のために、寮を出ていかなければならない。
「205が、部屋にあたしの残像を映しているの?」
Forget Me Not