テーマ:一人暮らし

Forget Me Not

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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 『あたしのこと、忘れないでね』
 夢の中ではじめて耳にする女の子の声が響き、だんだんと遠くなり、けたたましいアラームとタイマーライトで僕は目覚めた。夢は、記憶や潜在意識の反映だ。きっと、ラボへ行く途中のバイオプラントの景色や、女の子の幻覚が原因に違いない。しかし、気分はすがすがしかった。なんというか、あの女の子とひろい青空の下、肩を並べている夢の中の僕は、とても幸せな気持ちだったんだ。
 僕がぼんやりと夢の余韻に浸っていると、アイムーブカメラがぐいんとズームし、
 「朝食はいかがいたしましょうカ?」
 と尋ねた。適当に頼むよ、と告げ、オートキッチンからコンベアで運ばれてきたジャーマンポテトを見ると、僕はまたしても、あのジャガイモ畑の夢に引き戻されそうになってしまうのだった。
 僕はその日なかなか調子が出ず、ロボット工学の小テストを半分も間違え、実習に使う電子回路を3個もだめにした。寮へ帰り、ちょうどいい湯かげんのお風呂にゆっくりつかっても、絶妙な辛さのカレーライスをおなかいっぱい食べても、どこか物足りず、胸のあたりがすぅすぅするんだ。ヘルスチェックは、ほとんど問題なかったのに。僕は、学内通販で、「頭スッキリ目もシャッキリ!」といううたい文句の栄養剤のサンプルを注文してみた。
 翌朝は、タイマーアラームライトの予定時刻より前に目が覚めた。カーテンからさしこむ明るい陽射しで、今日はとびきりのいい天気だとわかる。まどろむ僕の目の前を、部屋着姿の女の子が横切っていった。相変わらず輪郭はぼやけて頼りないけれど、僕の目は、その姿を追っていた。
 女の子は赤いじょうろを持っていて、この部屋にあるはずのない植物の鉢に水をやる。僕はあまり詳しくないが、ただでさえ華奢で小柄な女の子の背をゆうに超える、南国に生えているような植木、肉厚の葉が何方向へも伸びている小振りなもの、大中小のサボテン、あれはハーブ? べろんと舌を出したような毒々しい色をした大きい花に、その葉からひっそりと垂れる宿り木、鞠のように群れて咲く、親指の先ほどの色とりどりの花々、天井から釣下った透明な丸い鉢からこぼれるように伸びる草……まだ夢の中にいるようだ。205号室は、いつの間にか植物でいっぱいになっているんだ。ぜんぶの鉢に水をやるのは、なかなか大変そうだ。僕は、葉陰でせっせと水をやる女の子に、声をかけた。
 「きみは、誰?」
 その途端、部屋中の植物は女の子ごとそっくり姿を消し、けたたましいアラームが鳴り響くとともに、アイムーブカメラが伸びてきた。

Forget Me Not

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