Forget Me Not
実習を終え寮に戻ると、
「おかえりなさイ」
という音声とともに、タイマーライトがパッパッ、とついた。タイミングよくお風呂が沸いたことを告げるアラームが鳴り、
「お風呂とお食事、どちらをお先にいたしましょウ?」
とくる。オートシステムやアイムーブカメラが普及したおかげで、ひとり暮らしがずっと手軽で安全になった。プロジェクトモニターに今日のニュースを映すと、『孤独を選ぶ若者たち』という記事の見出しが目に飛び込んできたが、そりゃそうさ。ひとりでも、こんなに快適に過ごせるんだもの。僕は食卓につき、いいあんばいに塩のきいたアスパラガスのソテーをもぐもぐと噛んだ。
夕食を済ませ、風呂からあがった僕は、まだ服を着ていないのに、思わずその場に凍り付いてしまった。不意に出てこられる状況に、僕はまだ慣れていないんだ。
例の女の子だ。
鼻歌でも歌い出さんばかりの様子で、食卓にトマトやなすを並べ、ひっくり返したり、顔を近づけて匂いを嗅いだりしている。女の子と同様、並んだ野菜もなんだか透き通っており、ホログラムでも見せられているようだった。僕はあわててバスタオルを腰に巻き付けたが、「これは錯覚、これは夢」と唱え、心を落ち着ける。
女の子は、僕の方など見向きもせずに、キュウリを手にとると、ぐっと力を入れて半分に折り、そのままがぶりと噛みついた。気持ちのいい食べっぷりだ。女の子は口をもぐもぐさせながら満足げに何度もうなずき、残り半分のキュウリをアイムーブカメラの方へ突き出し、おかしそうに笑った。
「205!」
思い切って声を上げると、女の子も野菜も、あっという間にかき消えた。
「ご用でしょうカ?」
「パジャマを頼む……それから、ヘルスチェックを」
ヘルスチェックカプセルから這い出し、結果に目を通す。体脂肪、基礎代謝、筋肉量、骨量、問題なし。血圧正常。聴力、異常なし。視力、若干の低下。血液検査、すべて正常値。多少の運動・睡眠不足気味。心電図、胸部レントゲン、異常なし。
なるほど。この、「視力低下」「睡眠不足」ってところがあやしいな。僕は翌日のタイマーアラームライトをセットし、はやばやとベッドにもぐった。
その晩、僕は夢を見た。どこまでも続く花盛りのジャガイモ畑のまんなかに、あの女の子がちょこんと座って微笑んでいる。うっすらピンクがかった白いワンピースが、ジャガイモの花のようだ。女の子はワンピースの肩口から突き出した華奢で日に灼けた腕を振り、半分に折ったキュウリを僕に差し出す。それはまぶしい笑顔だった。
Forget Me Not