テーマ:お隣さん

くしゃみ

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二階に上がって、ベランダに出て、夜光灯の電球と予備の電球を叩き割った。正面にある、左隣の家のカーテンが揺れたような気がする。
彼が、新しいヘルパーさんがきたときに呆れられるだろうかと思いながらも、私は母の世話をすることができなかった。くしゃみも、母の声も、なにも聞こえないようにと、自室に鍵をかけ、ヘッドホンをしながらレゴブロックを組み立てた。それでも、音たちは薄く、耳に入ってきた。
部屋のドアが揺れているように思って、しばらく見つめてみるとやはり揺れていた。それから、声がして、私はヘッドホンを外した。私はドアを開けた。「どうして」と私はヤマダさんに聞いた。「やめたんじゃなかったんですか?」「え? やめてなんか、いませんよ? 風邪で休むからって、連絡がいってませんでしたか?」ヤマダさんの向こうでは、母がソファに座って、私に手を振っていた。「あっ、え、どうしたんですか?」私はヤマダさんにしがみつくようによりかかり、泣いていた。
ヤマダさんとふたりで、よごれた母の部屋を掃除した。その日はヤマダさんに介助をしてもらいながら、私が母をお風呂に入れた。背中をこするとき、皮までめくれてしまうかもしれないと思ったが、「もっと強く」と母がいってきた。三人でレゴブロックをしているあいだも、母は穏やかで、もうすぐ死んでしまうんだろうと思った。「あれ?」とヤマダさんがいった。「くしゃみ、きょう聞こえてきませんね」
なにかあったのだろうかと外に出ると、隣の家の娘が庭にいて、花壇の花をじっと見ていた。娘が私に気づいたので会釈をすると、娘が口を開いた「あ、あの――」
クローゼットのなかに仕舞っていた喪服には防虫剤のにおいが染みついていて、ヤマダさんにファブリーズを買ってきてもらわなければならなかった。「おとうちゃん、どこいくの?」母が私にいった。
家を出ると、私と同じように、喪服を着た隣人が家を出るところだったり、通りを歩いて、私の左隣の家に向かっているところだった。老人が多くいて、仲がいいとは決していえない、というか私たちはお互いに無関心だったが、お通夜の席で、「あんなにうるさかったのにね」とだれかがいうと、みんな、うなずいたり、ハンカチを目にあてたりして、私たちはひとつの思い出を共有しているようだった。「さびしくなるね」私たちは昔からずっと、知り合いのようだった。
若い娘は、死んだ老人の孫ではなくて恋人だった。

くしゃみ

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