テーマ:お隣さん

くしゃみ

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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「ほら、ちかちかって」と母がいった。「ちかちか」
「買っておいたから」と私がいう。
「でも、ほら、ほら」と母が緩慢に手を動かしてリビングの蛍光灯を指さす。点滅ながら部屋を揺さぶる青っぽい光を切り裂くように、母の指が動いていく。
「あしたには届くんだよ、蛍光灯」この前、母に「注文」という言葉を使っても通じなかった。母の指が、蛍光灯と垂直になって、止まった。「ちかー」
 けれど、次の日になっても蛍光灯は届かなかった。ヤマダさんに買ってきてもらってもよかったが、配達中であることを知らせるメールは確かに届いていたので、少しでも無駄な出費をするのが嫌だった。いつまた母に病院にいってもらうことになるかわからない。昼間はカーテンを開けておけばそれでいい。陽射しが指し込んで、蛍光灯よりずっと優しい光のなかで、母がじっと、リビングの椅子に座ってテレビを見ていてくれる。いや、見ているというより、流しているだけなのだろうが。母は話がたまに通じないというだけで、そこまでひどいパニックを起こしたりはせずにいてくれる。
チャイムが鳴って、私はびくっとしてしまう。ふだんは左隣の家からくる、もっとうるさい音を聞いているというのに、チャイムの音におどろいてしまう。電話の音と同じように、私を不安にさせる。父が死んだとき、妻が死んだとき、耳にあたる電話の生温かさをおぼえている。それまでも、それからも、電話の温度なんて変わっていないはずなのに、電話の向こうに人がいるのではなく、電話そのものが、訃報を私に知らせる、ひとつの生きもののように感じた。チャイムもそうだ。何年か前、母が子どもにもどったかのように、家のチャイムを連打していた。「ちぃちゃーん」母がインターホンに向かって、何度も繰り返しいった名前は、妻の名前だった。私は母の姿を直接見ることがこわくて、母に妻は死んだのだということがこわくて、布団を頭からかぶることしかできなかった。
やってきたのはヤマダさんだった。鍵は開いているのだから勝手に入ってきてくれと、いままで何度かいったことがあるけれど、ヤマダさんは決まってチャイムを押す。勝手に他人の家に上がってなにかが起きることを避けたいというヤマダさんの気持ちが常識的なものだということを私もわかってはいるが、きょうも「チャイムは鳴らさなくていいです。もう何年もお世話になってるんだし」と私はいった。するとヤマダさんは「でも、鍵はかけた方がいいですよ」といって、それから、気まずげな顔をした。きっと、私がヤマダさんの言葉の意味を、家の防犯のためではなくて、母が外に出ないために鍵をかけるべきだと思ったのではないかと、思ったのだろう。「そうかもしれませんね」と私は嫌味に聞こえないようにいった。これでまた、今度ヤマダさんがくるときもチャイムが鳴ってしまうことになる。

くしゃみ

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