テーマ:お隣さん

くしゃみ

この作品を
みんなにシェア

読者賞について

あなたが選ぶ「読者賞」

読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

閉じる

「キョウコちゃん」ヤマダさんを見た母がいった。「きょうは調子どうですか?」ヤマダさんは母に名前を間違えられたことを無視していう。ヤマダさんはそういうことにはきっと慣れているだろうし、私も別にとがめたりはしない。それどころか、頬がゆるんでいないかと気にする。ちょうど去年ごろから、母がヤマダさんをだれと間違えるのか番付をつけているのだ。
「あれ? まだ替えてないんですね」と蛍光灯を見ていいながら、ヤマダさんは背負っていたリュックサックをソファの上に置き、「いってくれたら、買い物のときに買ってきたんですよ」といった。「いや、きのうには届くことになってたんだけどね」と私がいうのを聞きながら、ヤマダさんは手に下げていたスーパーのレジ袋をキッチンに置いた。母が「きょうはカレー?」といって、「そうですよ」とヤマダさんが笑顔でいったので、私も笑った。「ああ、私は外で食べてくるんで」「あ、新しいの買いにいくんですね」「はい。ヤマダさん、よろしくお願いします。母さん、僕は出かけてくるからね」
 家を出るとき、母がリビングのドアから顔を出して、「ばいばい」といった。手を振り返しながら玄関を出たとき、左隣の家から爆発音が聞こえてきた。
 左隣の家には、私くらいの年齢の老人と、若い娘さんが住んでいる。たまに、二階の窓のカーテンを開けて、通りに出た私を見下ろす老人の姿を見ることがある。右隣の家には、中年の男女とその子どもたちが住んでいるが、やはり話したことはない。いや、あっただろうか。どちらの家も、私と母がこの家に住みはじめたあとに引っ越してきた。引っ越しのあいさつなどはされなかったが、近隣の家が閉鎖的だとか、そういうことではきっとなく、単に私が引きこもりがちなのだ。もともと内気な性格だった。中学で国語の教師をやっていたが、空いた時間には同僚や生徒たちと話したりはせず、数式やクロスワードを解いていた。クラスの担任をしたことも何度かあったが、文集に「ロボ川先生」と書かれたことがある。皮肉なことに、父親と妻の保険で金には余裕があったので、当時から少し調子を崩していた母と、心労で老いはじめた自分のために早期退職することができた。だが、仕事をやめたとたんに皺が増えて、体が小さくなったように感じた。そのときからヘルパーさんに入ってもらっているが、隣家の爆発音のために緊張したり、ミスをしたりしてしまうのか、あるいは私が知らないところで母に意地悪されたのか、何人かのヘルパーさんがよそへいった末にヤマダさんがきて、いまでは一番長くつづいている。左隣からくる音は、くしゃみの音だと思う。日に何回も聞こえてくる。このあたりの家はすべて同じような外観をしていて、おそらく内装もそうなのだろうが、家の防音がどうとか、そういうレベルではないのだ。目が弱くなっていた私はあるとき、細かいインクの羅列を繰り返す数式を解く代わりに家ではジグソーパズルをしていたのだが、隣の家から聞こえてくるくしゃみのせいで、完成して立てかけたパズルがばらばらと崩れてしまった。だからしばらくはヘッドホンをしながら本を読もうと思っていたのだが、それでは母に呼ばれても気づかない。ヘッドホンを外すと、くしゃみで集中できない。隣の家に苦情をいいにいこうかとも思ったが、苦情をいったところでなにになるというのだろうか。くしゃみなのだ。生理現象なのだ。きっと、本人も苦しんでいるにちがいない。もう一度どこかに引っ越せなどとは、とてもじゃないが、いえない。それに、いまでは私も母も折り合いをつけることができている。母の進行する鈍さが、くしゃみに対してはいい意味で作用しているらしく、家が騒音で突きぬかれても、耳が悪い母はなんとも思わないらしい。おかげで私とヤマダさんは母に向かっては怒鳴るような大きな声でしゃべらないといけないし、テレビの音量は大きすぎるほどだが。私はというと、だったらこれなんかどうですかと、ヤマダさんが教えてくれたレゴブロックのおかげで、母とふたりで死に向かっていく暮らしを耐えることができている。ちょうどこの前フェラーリのレゴを作ったところで、きょうは新しいのを買いにいくのだ。

くしゃみ

ページ: 1 2 3 4 5 6 7 8

この作品を
みんなにシェア

4月期作品のトップへ