テーマ:お隣さん

くしゃみ

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読者賞について

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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最寄駅まで歩いていく途中、人がいない。きょうは平日なんだろう。普段はずっと家にいるので曜日の感覚がすっかりわからなくなっている。このあたりも昔は、平日でも人がわりと歩いていた。犬の散歩をしている人や、ただ散歩をしている人たちに、話しかけはしないまでも会釈をして、向こうも善意の会釈を返してくれたことを思い出す。元気だったときの母と仲がよかった人たち。みんな死ぬか、子どもの家に引き取られるか、どこかの施設にいくかしたんだろう。駅に着いて、改札に電子マネーのカードをタッチすると残高不足だった。財布はちゃんと持ってきただろうかと、上着のポケットに手を突っ込んではじめて安心したが、チャージ完了の音が少しこわかった。どこから沸いてきたのだろうか、電車のなかには老人たちがたくさんいる。老人たちの乾燥した皮膚のにおいのあいだに、アクセントのようにして、大学生らしい若者がちらほらといて、どうしても目は若い方にいってしまう。学生時代に、自分自身がいけいけでないとわかっていながら、いけいけでない集団に属していることに少しの嫌悪感抱いていたように、いまも、電車のなかで多数を占める疲れた老人の仲間に私が入っていることが虚しい。別に、老人が悪いというわけではない。加齢そのものが老いだなんて思っていない。加齢は悪くないことだ。というか、良いも悪いもない。ただの現象だ。だが、私は疲れてしまっている。父親と妻の早い死も、母の認知症や介護も、私だけでなく、たくさんの人に当たり前に訪れることで、その当たり前のせいで枯れかけている人がこんなにもいる。自分はまだ枯れていないとうそぶいてみても、窓には私が映っている。
駅のすぐ近くにある、この辺りでは一番大きなショッピングモールに入ると、BGMとして電子音楽がかかっていた。前にきたときには当たり障りのないオルゴールみたいな曲が流れていたと記憶しているが、なんというか攻める感じを出したいのかもしれない。最近の流行などを抑えておいた方がボケがくるのが遅いかもしれないと思って日がなユーチューブを見ていたときもあったが、目が疲れるし、くしゃみがうるさいのもあってやめてしまった。いまかかっているのがだれのなんなのかはさっぱりわからないが、電子音楽というだけで私はYMOを口ずさみながらおもちゃ売り場にいった。
消防署のレゴブロックをレジに持っていくと、「プレゼントですか?」と女性の店員さんが聞いてきた。「はい」といままで何回もいってきたように、今回も私はそういう。はじめてきたとき、はじめて聞かれたときに、つい流されるように「はい」といってしまって、私も店員さんもお互いの顔を知っているだけに、毎回プレゼント包装をしてもらうはめになってしまっている。きっと店員さんは、私が孫へあげるために定期的にきていると思っているのだろう。私と妻のあいだには孫ができなかった。というよりも、子どもをつくらなかった。私はまあ、教師をしていたので子どもは好きなのだが、自分が育てられる気はしなかった。事故にあったり、病気をしてしまうこともあった教え子たちのように、簡単に怪我をして、死んでしまうのではないかと、こわかった。ずっと家にいた妻は、途中から同居することになった母にとやかくいわれたこともあっただろうが、私に子どもがほしいと迫ることはなかった。一度だけ妻の口から「子どもがいたら気が紛れる」かもしれないと聞いたことがあったが、おそらく妻は、子どもを自分の暇つぶしのための道具のようにいってしまったとでも思って、それから子どものことが話題にのぼることはなかった。おもちゃ売り場を出るとき、「お孫さんの顔が見てみたいです」と店員さんにいわれたので、次からは私は別のところにいくかもしれない。私に孫がいたら、隣の家の娘くらいだろうか。

くしゃみ

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