テーマ:ご当地物語 / 熱海

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「ごらんの通り、熱海の街中にはほとんどソメイヨシノがなくて、早咲きの熱海桜なんですよ。初川沿いの桜も熱海桜だね。ソメイヨシノは熱海城とか伊豆山神社に上る参道の石段の並木道がきれいだよ。」
桜といえばソメイヨシノしか知らなかった私は、いつか早咲きの桜を見てみたいと思った。
 母の家の住所でタクシーを降り、「山野」という表札を探したがどこにもない。仕方なく母に電話すると、表札はまだつけていないが門の前にユキヤナギが植えてあるからそれを目印に来いと言う。確かに斜め前に、門の前で満開のユキヤナギが重そうにもっさもっさと揺れている家があった。東京ではまだ咲いていない。やはり熱海は暖かいのだなと思う。家に入るとすぐに母ご自慢の風呂に入った。風呂には温泉を引いている。熱海市から買うのだそうだ。と言っても別段高くない。温泉は、風呂から出た後もぽかぽかと体が温まり、そのせいか最初は痛めた腰や足のすじが入浴後もしばらくジンジンと痛んだ。しかし不思議と翌日には痛みが和らいでいた。
最初の二日間は曇天だったせいでなんとなく鬱々とし、朝晩温泉に入って、ただヤマモモとツツジの生い茂る庭を広縁の籐椅子に座ってぼんやりと見ていた。体がまだ完全には治っていないので、坂道の多い熱海を歩き回る気にもなれない。母の家は和風の平屋で、階段を上り下りする必要がないのが今の私にはありがたかった。
三日目、いまだに時々怠そうにしていて使い物にならない私を見かねた母が、近くの鍼灸院に行けと勝手に予約を取ってきてしまった。「鍼なんて…」と思いながら行くと、坊ちゃん刈りで大きなアーモンド形の目をした高校生みたいに若い鍼灸師がニコニコしながら出てきた。一瞬、ものすごい新人で、肺に鍼が刺さっちゃったりしないだろうかという不安が頭を駆け巡る。
「四時から予約しておりました、山野です。」
名乗りながらも、この人こんなに若くて大丈夫なのだろうかという不安が止まらない。そして、何かに似ているけれどそれが何なのか思い出せない。しかし、坊ちゃん刈りの鍼灸師、略して坊ちゃんはてきぱきと体をほぐし、トントンプスプスと鍼を刺し、貧血からアレルギーまで私の悪いところをどんどん見抜いていく。年齢は不詳だが腕は確かなようだ。四十五分のメニューだったが終わってから時計を見ると1時間経過している。超過料金があると思ったら取られなかった。しかも東京より断然安い。驚いて「いいんですか」と聞いてしまった。坊ちゃんは子供のような白い歯を見せてニコニコしながら言った。

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