午後の風景
そして何よりも自宅の蔵書を増やさなくても良いというメリットがある。
断捨離を心掛けている今の暮らし方にマッチングしている。
また、図書館では、本を読むのに飽いた時には、映像や音楽を楽しむことも出来るコーナーもある。
それでいて、静粛が求められ飲食や喫煙が禁じられている館内には、厳粛な緊張感がある。
学生たちが、ピリピリした感じで試験準備やレポート作成をしているのを横目に、悠々と自分の好きな本を好きなように楽しむことが出来るのだ。このようにして、図書館通いが福田の日課になった。
それからもう一つ、退職して始めたことが、ラジオを聴くことだ。
妻とは、別にしている彼の寝室兼書斎で、出勤時間を気にすることなく聴くことが出来る。
朝には英語の講座をやっているし、夜には専門的なテーマの番組が組まれている。これらは一つが15分、せいぜい30分なので、集中力を切らさずに聞くことができるのだ。部屋の隅の小さいテーブルには、コーヒードリップを置いて、好きな時に飲めるようにしてある。聞き終えて一服に飲むコーヒーは美味い。福田の至福の時間だ。
これは福田が、試行錯誤しながら辿り着いた現在の生活の姿である。
お陰で体力も知力も衰えを感じないし、妻とも余り顔を突き合わせることもないのでトラブルも減少した。福田は、今の生活に満足している。
その日も、いつものように自分の部屋でラジオの朝の英語講座を聞いた。
それは、中学校レベルの基礎的なコースだが、彼の年代の英語力は、文字では読めるものの耳から聞くと全く聞き取れないレベルだ。
しかし講座では、単語の解説と模範の発声があるので、何年か続けている間に少しずつだが耳が馴れて来た。中学校以来、好きになれなかった英語が、この歳になって親しみを感じるまでになった。
小一時間、ラジオを聞いて、朝のコーヒーをゆっくり飲んでから一階の居間兼食堂へ降りて行く。
「お早う」と声をかけると妻の孝子は、トーストしたパンにジャムを塗って食べている。朝の連続テレビを見ながら食べているので、気のない返事だ。
彼女は、専ら紅茶派で、いつもの通り生野菜のサラダにハムエッグを添えてある。
福田は、インスタント味噌汁にお湯を注ぎ、昨日の残りの野菜の煮物と漬物を皿に盛り、ご飯をよそう。孝子の向かい側に座って食べ始める。
それぞれが好きな時間に好きな物を食べる、これが最近の福田家の流儀だ。今風の言葉で言えば、夫婦間でも独立性を尊重する、有体に言えば、家庭内別居とも、言えようか。
午後の風景