隣は何をする人ぞ
「なーんて、冗談、冗談」
ポンポンと背中を兵頭に叩かれる。がっちり筋肉の着いた重たい手のひらの感触が恐怖を増殖させる。
罠だ、これは罠だ。まさかの容疑者変換、罪のなすりつけ、冗談というオブラートに包みながらぼくを犯人に仕立て上げようとしているんだ。やっぱり兵頭は怪しい。
いや、待てよ。最初にぼくを怪しいと言ったのはサラリーマンだ。としたら兵頭とサラリーマンはグル? まさか。いやでもあり得る。もともと、兵頭とサラリーマンは停電後に一階で落ち会う約束をしていたのかもしれない。となるとマンションの住人はぼくと吉村だけなのか?
「ま、家に戻りますか」
突然光がよみがえった。あまりのまぶしさに思わず目を閉じる。
「復旧しましたね」
「大変でしたねえ」
ぼくらは笑いあう。
誰の笑顔も、もう信用できない。
さあ、誰が本物で誰が偽物なんだ? 誰と誰がグルなんだ?
エレベーターに四人で乗り込むと、さっきまでの親密さは消えて気まずい沈黙が流れた。
「じゃ、どうも」
「お先に」
二階でサラリーマンと吉村が降りる。降りた後、本当にそれぞれの家の中に入っていくところを確認したい衝動にかられたが、兵頭がまだ残っているため、ぐっと我慢する。
エレベーターの数字が5で止まる。
はやく家に帰って確かめなくては。せりあがってくるような心臓の音。駆け出したくなる足、むずむずする体を押さえて「どうぞ」と兵頭を先に出す。
さあ、どうする?
本当におまえは501に入っていくのか?
問いかけるようにその姿を見る。
振り返る兵頭、その顔は「さっさと自分の部屋に行けよ、邪魔だな」というふうにも「おまえは本当に506の長谷川なのか」と疑っているようでもある。
疑われたくないから兵頭が501に入ることを確認できないまま、仕方なくなんでもない風を装って、兵頭に背を向けて一歩を踏み出す。
同じマンションの誰のことも知らないということがこんなに恐ろしいことだとは知らなかった。隣人やマンションの住人のことなんて知らなくてもいいと思っていた。その結果がこれだ、そう思いながら自分の部屋の前に立つ。
さあ、どっちだ。どうなっている。
明るい廊下、いつもと同じ部屋のはずなのに入るのが恐い。
思い切ってドアノブに手をかける。
カギはかかっていない。
さあ、部屋の中は。
隣は何をする人ぞ