原っぱの怪人
道夫のかよっていた小学校では、同じ組でも、男の子と女の子はいっしょに遊ばなかったものです。口もほとんどきかなかったくらいでした。原っぱに行くのもいつも男二人なので、その年の夏休みの最初の日、清一と道夫は、しめし合わせて、同級生のよう子さんを紙芝居見物にさそうことにしました。
よう子さんは、戸山ヶ原のアメリカ人の家に住み込んでいるコックの娘で、清一も道夫も気に入っていました。それに、女の子といっしょに歩いても、夏休みなら仲間のあいだのうわさにもならないだろうという思わくだったのです。
といっても、よう子さんはけっして人形のように美しい少女ではありませんでした。色はたしか黒いほうだったでしょう。骨太(ほねぶと)で丈夫(じょうぶ)そうな体をした大人びた娘で、子供ながらもなんとなく、田舎(いなか)めいた野蛮な魅力(みりょく)を感じさせる子でした。
さいわいなことに、よう子さんは、この変な紙芝居がすっかりお気に召したようで、それから三日にあげず、毘沙門(びしゃもん)さまの境内で待ち合わせて、三人で原っぱにかよいました。ところが、原っぱにはほかの友だちも来合わせています。三人がいつもいっしょに来ることが知れると同級生は、すわとばかりに色めきたちました。なかでも夏目坂の寺の息子の順吉や、山吹町の足袋屋(たびや)のせがれの耕平は、ませっ子で、大人の口まねをして「三角関係だ!」などと言っては逃げるのでした。二人は追っかけるそぶりをしましたが、道夫はもちろんのこと、清一もべつだん腹を立てているようでもありませんでした。
そうこうしているうちに、大変なことが起こりました。その後まもなく、紙芝居は原っぱに来なくなってしまいました。いくら待っても姿をあらわさないのです。ナニ紙芝居屋のおじさんは、商売ですからいなくなっても別にふしぎはないのですが、その日から、清一とよう子さんが、神かくしにあったように、毘沙門(びしゃもん)さまの待ち合わせ場所に来なくなってしまったのです。
順吉や耕平は、たちまち騒ぎたてました。あの紙芝居屋が犯人だというのです。コウモリ男が、黒いマントのすそに死体をかくして運んでいったとか、いや、さらわれて曲馬団(きょくばだん)の団長に売り渡されたらしいとか、おじさんが黒いマントのそでを、コウモリの羽のようにヒラヒラさせて、新宿御苑の空のほうへ飛んで行ったなどと、怖いうわさが、まことしやかに流れました。
原っぱの怪人