テーマ:ご当地物語 / 東京牛込

原っぱの怪人

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 夜のお堀ばた、宴会(えんかい)がえりの酔いどれ紳士がふらふら歩いてゆく。と、柳の陰(かげ)で、振袖すがたの若い娘が、あわや身を投げようとしている。紳士はそっと近づくと、うしろから娘の帯をしっかりとつかんで引きすえる。娘はそこに、よよと泣き伏した。
 なんでこんなことをする、と親切ずくで紳士がたずねると、娘はクスクスと笑って、
「だって、わたし、こんな顔になったんですもの」
と言って、ニューッと顔を上げると、なんとその顔が、目も鼻も口もないノッペラボウ。
 紳士はキャッと逃げだして、べつの町角まで来ると、さいわいなことに屋台のソバ屋が店を出している。その屋台にころがり込んで、たったいま見たことを話すと、ソバ屋のおやじはニヤリと笑って、
「さようですか。それじゃあ、その娘さんは、こんな顔じゃアなかったですか」
 と言って、片手でツルリと顔を撫(な)でおろすと、目も鼻も口もないノッペラボウ。
 紳士が、ウーム、とばかりに気を失うと、屋台もおやじも煙のように消えてしまった。

 印刷所のおじさんが話してくれたのは、「むじな」という落語ダネだということが、ずっとあとになって林家(はやしや)正蔵(しょうぞう)の高座(こうざ)を聞いてわかったのですが、このときは、おじさんの体験談のように感じられ、道夫はゾーッと背中へ水を浴びせられたような気がしました。
 ノッペラボウの顔の人が、何人もくり返されるというところが、いかにも怖いのです。しかも、おじさんは何人目かのノッペラボウのときに、すきをうかがって、ツルリと手近かにいる子供の顔を撫でる。キャッといって飛びのくのが、この話のオチになっています。

 そのころ、神楽坂の目ぬきの通りの商店街、繁華街(はんかがい)は以前にまさる繁昌(はんじょう)を取りもどしていましたが、ひとあし裏通りにはいった屋敷町には、地主が手ばなさないためでしょうか、病院のあとやレンガ作りの西洋館の跡が廃墟(はいきょ)のままとり残され、雑草が伸びほうだいに伸びた原っぱが、いたるところに見られました。
そのなかでも、「牛屋(ぎゅうや)が原(はら)」と呼ばれていた空き地は、牛込ゆかりの若狭(わかさ)小浜藩(おばまはん)、酒井家(さかいけ)の菩提寺(ぼだいじ)、光(こう)照寺(しょうじ)の西にあたり、二千(にせん)坪(つぼ)もあるかと思われる広々とした原っぱでした。「牛屋(ぎゅうや)」というのは、明治時代にここに牧場があって、ホルスタイン(乳牛)が飼われていたところからついた名だということでしたが、昭和の二十年代になっても牧場の跡地(あとち)がそのまま放置(ほうち)されていたとは考えにくいので、あるいは、あれはもう、終戦後の焼け跡の空き地だったのかもしれません。

原っぱの怪人

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