野地沙麗子のお部屋事情
すると、彼女はちらりとベランダを見てから不満そうな声をあげた。
「うーん、やっぱりダメだわ。次の物件をお願い。」
そうして髪をリュックにしまう彼女に、私は何がご不満でしたかと聞いた。
先日の話では、確かに彼女はベランダに立ったときに6メートル以上の高さになる物件がいいと言ってきた。だが今回その要望に応えられるはずのアパートは彼女のお気に召さなかった。
ここで原因をはっきりさせておかないと次の部屋探しに支障が出る。
すると、彼女はリュック背負いながらも少し口を尖らせて言った。
「だって、ベランダから髪を投げたとき、そこにある薔薇の生け垣に髪がからまったら悲惨じゃない。大切にしている髪なのに、そんなのごめんだわ。」
そうして自分の髪をまるで大切にしている子犬のようにひと撫でする。
私はその様子を見てため息をついた。
そうだ、そうなのだ。彼女の最大の要望。
それは、「自分の髪を垂らしても問題ない物件に住みたい」というわけのわからないものであった。
しかも、その理由を聞こうとすれば、はぐらかされるか出て行こうとするかのどちらかで、まったく聞けたためしがない。
こうなったらもうお手上げ状態なのだが、それでもこの一週間のあいだは彼女以外に部屋を探す人も無く、一応お客様は全て相手をするのが店のルールなので、しかたなく私が相手をしている次第だった。
…だが私は気を取り直し、次の物件へと車を走らせた。
二番目の物件は高層マンションの最上階。
デザイナーが監修したということもあり4LDKの広い室内にはおしゃれな絵画や高価なスタンドが備え付けとして配置されている。家賃も物件の中では最高額なのだが、最初に値段を提示したときには彼女は眉根一つ動かさなかった。
…さて、今度はどうなるか…。
私はリュックサックを背負ったまま玄関に立つ彼女をおそるおそる見つめたが、彼女は中を一瞥したあと、すぐに肩をすくめてしまった。
「全然ダメね。あれ、見てよ。」
そうして彼女は一点を指差す。
そこにあったのはおしゃれな細工がほどこされたバルコニーであった。
だが、意味の分からない私は目をぱちくりとさせる。
すると彼女は教師が出来の悪い生徒に教えるかのようにため息をついてみせた。
「だってここ、高層マンションでしょ?髪の毛が強風にあおられてしまって、下の階に届かないじゃない。こんな物件紹介する事自体が間違っているわ。」
そうして、私が何か言う前に彼女はドアを開けてさっさと出て行ってしまった。
野地沙麗子のお部屋事情