家と街と父と
普段、学校から家に帰るときに通る道は、私の中でただの道でしかなかった――ずっと続くアスファルトでしかなかった。その周囲に当たり前のように建ち並ぶ住宅もお店も、ただの建物でしかなかった。でも、いつもより遅く歩くと、普段の光景とは全然違って見えた。この道も、自分の家の駐車場みたいに最初から存在していたわけではないんだ。あそこにそびえ立つ新しいマンションも昔は飛行場だったのかもしれないし、このクリーニング屋だって、ずっと昔は時計屋だったかもしれない。全部、全部――この街は全部、『何か』だった。そんな当たり前の事実が私を、私だけが知っている、と優越感に浸らせる。
一輝は観光案内人みたいにお父さんの前を歩き、この街の一部を説明している。
シャッターが下りたお店を指さして、『ここがいつも十円サービスしてくれる駄菓子屋さん』、『あそこを通ると、平池の公園がある。あそこで雄太とバスケしてる』、『あのマンションに雄太が住んでる』。お父さんは一輝が指さす方に頭を動かす。キャップを被るその姿はどちらが子供か分からない。
気が付くと、空は暗かった。部屋の電気を消したみたいに一瞬で暗くなった。お父さんみたいだなあ、と思った。お父さんも、突然現れる。空から、おーい、おーい、と呼ばれている気がした。
私が通う中学校の校舎を見上げると二階の職員室だけが明るく、窓には先生たちの動く姿が見えた。前を歩く二人も私と同じところを見ていて、なんだか『ブレーメンの音楽隊』を思い出した。でも、あのグリム童話に登場する動物が全部で何匹いたかを思い出せない。お父さんに訊こうか、と一瞬考えたけど、なんとなく知らないような気がしてやめた。
踏切で立ち止まり周囲に目を向けると、浴衣姿の大人たちや小学生、自分と同じ年齢くらいの子がいた。みんな、神社に向かっているんだろうか。私は足下を見つめた。
特急の電車が勢いよく目の前を通り過ぎて、私の長い髪を掬い上げ、父の笑い声と弟の大きな声もさらっていった。そんなの知ったことか、と電車はもう既に姿を消そうとしていた。夏の甘い匂いが私の鼻腔に僅かに残り、懐かしい思い出が蘇った気がする。でも、その正体が何なのかは分からない。
踏切を越えると坂道が続いており、人の熱気や声がごった返していた。屋台も左右の道に所狭しと連なっていた。普段は何もない坂道に突然、住宅街が現れたように思えた。黄色い屋根や白い屋根、赤い屋根や水色の屋根、統一感のない家々が光を纏う。
家と街と父と