Room174

箱の中の羊

2026.05.25

建築家自らが設計を手がけた

抜け感のあるスキップフロアの住宅兼事務所

セットデザイナー × 劇中建築デザイン上松奈央 × 小松大祐 × 大島碧

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『万引き家族』『怪物』などを手がけてきた、日本を代表する映画監督、是枝裕和。その最新作は、建築家の妻と工務店社長である夫を主人公に近未来を描く『箱の中の羊』。主要な舞台となるふたりの住まいは、建築家の小松大祐さんと大島碧さんが実際に暮らす家をベースに撮影された。プランニングした美術の岡田拓也さんと一緒にセットをつくりあげたのはセットデザイナーとして参加した上松奈央さんだ。

個人を丁寧に掘り下げているからこその共感と感動

映画は甲本音々(綾瀬はるか)と健介(大悟(千鳥))夫妻が、事故で亡くした息子・翔(桒木里夢)と同じ姿をしたヒューマノイドを迎え入れるところから始まる。3人が暮らす家は、建築家の音々と工務店社長である健介が建てたという設定。撮影に使用する住まいの候補として、「建築家が建てた家」がリストアップされた。
「物件を探すにあたり、監督は最初から『スキップフロアの家にしたい』とおっしゃっていました。そこで『建築家が建てたスキップフロアの家』を探すことから始まりました」(上松)

ロケハンを始めて4軒目に訪れたのが、小松大祐さんと大島碧さんが暮らす、北鎌倉に建つ住まいだった。是枝監督はロケハンに訪れたその場で即決、小松さんと大島さんも脚本を読まずに快諾した。
「僕たちも普段、作品づくりをしているので、ものをつくる人に対しては全面的に協力したい。是枝監督には『爆破だけはしないでください』とだけお願いしたところ、『大丈夫です』とお返事いただけました(笑)」(小松)
ロケ地としての決め手はスキップフロアだけではない。
「『箱の中の羊』というタイトルなので、箱のイメージで『囲われている感』を大事にしていた一方で、開放感も欲していました。小松邸は抜けのある空間が多くて、それがよかったんです。それに、音々の仕事場が家の中にあるのもよかった。当初は外にオフィスがあるという設定だったのですが、監督は小松邸を見て想像を膨らませたんだと思います」(上松)

事務所と住宅をつなぐ、外廊下のように見えるスペース。「テレビなどの取材では『空中回廊』と表現されることがあります。ベランダではなく、下の空間の屋根として設計しました。中庭から音々さんが見上げているシーンは、ちょっと不思議というか、私たちもあまり目にしたことのない構図だったので、興味深かったです」(大島)

監督は、住まいだけでなく、小松さんと大島さんの暮らしぶりにもインスパイアされたようだ。
「監督は大島さんにいろいろとお聞きしていましたが、そうやってリアリティを大事にされるところを目にして、『ドキュメンタリー出身の方なんだな』と改めて感じました」(上松)
「たとえば『こんなセリフは言いますか?』というようなことです。ディテールにいたるまで、ひとつひとつ確かめていらっしゃいました」(大島)
「美術ロケハンで採寸しているとき、たまたま大島さんがフレンチトーストを食べていて、そのことを監督に話したんです。数日後には脚本に音々がフレンチトーストを食べる描写が入っていました(笑)」(上松)

撮影は、小松邸だけではなく、スタジオに建て込むセットでもおこなわれることになっていたが、セットのデザインに対して小松さんと大島さんが意見することはなかった。
「家主としては、スタッフの皆さんに、好きに使ってもらえればと思っていました」(大島)
「心地よく、気持ちよく、やりたい放題やってほしかったので」(小松)
装飾に関しても、セットは小松邸に寄せて飾られた。
「調理道具や照明などは、小松さんと大島さんがセンスのいいものを使っているので、装飾部さんもこだわって飾り付けをしていたと思います。そういう意味でも小松邸は参考になりました」(上松)
「セットを初めて見たときはびっくりしました。撮影所に自分の家がもうひとつできていて、そこで綾瀬さんと大悟さんが生活をしている(笑)」(小松)
「我々の定位置に役者さんが腰掛けていたりして」(大島)

音々と健介が会話するダイニングキッチン。芝居のために冷蔵庫が置かれているが、実際の小松邸の同じ位置には木の壁が。「窓など、そのほかの部分は全部同じものが使われているので、ほぼ違いはわからないはずです」(小松)

「大悟さんから冗談で『家を乗っ取られるって、どんな気持ちなん?』と言われました(笑)。その後、帰宅して家に足を踏み入れた瞬間、また不思議な感覚を味わいました」(小松)
「寄せてつくられた」とはいえ、セットは寝室が広めにつくられていたり、子供部屋の位置にウォークインクローゼットが設けられているなど、小松邸と異なる点も少なくない。とくに風呂場はセットならではのしつらえだ。
「監督から『お風呂もセットでつくってほしい』というリクエストがありましたが、短いシーンなのでコストを考えて、『ロケで撮影しませんか?』と提案しました。でも『ここは大事なシーンだから』と。そこまでこだわっていらっしゃるならつくるしかない(笑)」(上松)

音々の仕事場。建築模型などは小松さんと大島さんの手によるもの。

浴槽に浸かる健介を、壁があるはずの位置から撮影できたのは、壁の取り外しができるセットだからこそ。そしてこの風呂は家の中で唯一、健介らしさが現れている場所でもある。
「お風呂以外に健介のキャラクターが反映されている空間はほぼありません」(上松)
「家全体で、奥さんのこだわりの方が前面に出ているというパターンですね(笑)」(大島)
「健介も『音々の好きにやりな』というスタンスなので、家には音々の色しか出ていない。ただし木にはこだわりがあるので『せめて風呂だけは』ということで、健介が自分の好みでしつらえたんです。実際の小松邸も檜風呂で、参考にさせてもらいました」(上松)

お風呂のセット。洗面台のデザインなど、実際の小松邸とは細かい違いがある。

木といえば、中庭の樹木も印象的だ。
「劇中ではレモンの木が植えられていますが、元々は紅葉(もみじ)が植えてあったんです。スタッフさんたち全員が泥だらけ、汗だくになって巨大なレモンの木に植え替えている姿が印象に残っています。ロケが終わるとレモンはセットに運ばれて、別の場所に移植しておいた紅葉が戻ってきました」(大島)
セットづくりに際し、上松さんが大いに助かったと語るのは、実際の小松邸を建てる際に利用した建材メーカーと工務店の協力があったこと。
「本建築とセットでは、資材の予算や納期が圧倒的に違います。小松邸では床に本物の石タイルを使っていますが、通常セットで再現する場合はフロアタイルなど模造品の床材でおこなうことが多いです。紹介いただいた建材メーカーさんに小松邸と同じ資材を提供してもらえたおかげでセットのクオリティが上がりました。特に開口部の3枚のサッシは、模してつくろうとすると、予算的にも納期的にも厳しいので」(上松)

中庭に植えられたレモンの木。「剪定してこのサイズなので、入れたときは枝っぷりがよく、もっと大きかったんです」(上松)

小松さんと大島さんは、ロケ地を提供するだけでなく、劇中で音々が設計する家のデザイン案と建築模型も手がけることになった。
「描く樹木の大きさや色味については画づくりの都合上、監督からリクエストがありましたが、『もっとこうして』と指示されることはなかったです。是枝監督は一度任せたら最後まで任せてくれる。プロの仕事はプロがやる。それぞれがそれぞれの仕事を尊重し合っています。『こんな現場はほかにない』と皆さんが言うぐらい、働きやすいそうです」(小松)
小松さんはこうも感じていた。
「振り返ると監督は、僕たち建築家がお客さんに提案をするプロセスを観察していたんだと思います。僕たちのやりとりを聞いては、まめにメモをとっていて、いつの間にかそれが脚本に入っている、ということが多々ありました」(小松)

小松さんと大島さんは、是枝監督ならではの映画づくりを間近で感じ取った。
「『なぜ僕たちの家にしたんですか?』と監督に伺ったら、『建物に関することはもちろんだけど、ふたりを巻き込んだらこの映画をつくれる気がしたから』というようなことをおっしゃっていました。大島は音々さんと年齢も近いし、子供は翔と同い歳。そんな人物を観察してみようという狙いもあったのかもしれません。ご本人に真意はお聞きしていないですけど(笑)」(小松)

子供たちが遊ぶリビング。絵が描かれている壁は映画オリジナルだが、実際の小松邸の壁にも子供たちがシールを貼っている一角がある。
子供部屋もセットでつくられた。「セットは本建築と違って強度がありません。カメラもフィルム用のものなので重い。スタッフさんもいっぱい載るので、構造には気をつけました」

「最初は一般的な建築家像を求められていると思っていました。でも、私達はそのロールモデルから外れているという認識があるので、『こういうふうに言うことはありますか?』と聞かれて、『一般の建築家はこうかもしれないけど、私の場合はこうです』と答えることが多かった。でも途中で、是枝監督が求めているのはそういう返答ではないことがわかりました。監督が描く物語に、自分とは違う境遇であっても共感を覚えたり、感動する人がたくさんいる理由は、監督が個人を丁寧に掘り下げているからだと気づいたんです。そこからは『建築家はこんな感じです』『子供がいる女性はこんな風です』ではなく、『私の場合はこうです』と示すようにしましたし、提案があるときも『求めているものはこれかな?』ではなく、『これがいいと思う』に変わっていきました」(大島)

監督のスタイルは、つくり手としての小松さんと大島さんにも少なからず影響を及ぼしたようだ。
「気づきのきっかけは、監督の振る舞いや言葉です。焦らずにしばらく見守るという接し方もそのひとつ。人の動かし方やリアリティに対する向き合い方を目の当たりにして、『ああ、こういうふうにしてものをつくっていらっしゃるんだな』と、非常に勉強になりました」(大島)

北鎌倉に建つ、2LDK+事務所の築5~6年の一軒家。意図的に柱を少なく設計されてあることもあって、コンクリート造に見えるものの、木造建築。

映像カルチャーマガジン・ピクトアップ#160 (6月号2026年4月16日発売)『箱の中の羊』の美術について、セットデザイナー・上松さん × 劇中建築デザイン・小松さん、大島さんのインタビューを掲載。

Profile

プロフィール

セットデザイナー × 劇中建築デザイン

上松奈央 × 小松大祐 × 大島碧

uematsu nao × komatsu daisuke × oshima midori

上松奈央 (セットデザイナー・左) 78年石川県出身。映画など携わったセット多数。/小松大祐 (劇中建築デザイン・右) 87年東京都生まれ。18年、風景研究所共同設立。/大島碧 (劇中建築デザイン・中央) 87年神奈川県生まれ。18年、風景研究所共同設立。

Movie

映画情報

箱の中の羊
監督・脚本・編集/是枝裕和 出演/綾瀬はるか 大悟(千鳥) 桒木里夢 ほか 配給/東宝 ギャガ (26/日本/126min) 近未来。子供を亡くした音々と健介夫妻は、息子の姿をしたヒューマノイドを迎え入れることに。再び動き出した家族の時間。やがて一家を待ち受ける、想像を超えた〈未来〉とは……。5/29~全国公開 ©2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.
箱の中の羊公式HP