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人間のしわざ

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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「からかってます?」
「ノーコメントです」宮本秀夫はいかにも官僚的な言いぐさで、煙に巻く。



 約束をした当日、施設を訪れると、受付に案内され、部屋に通された。中には、くだん件の白髪の男が待っていた。それにしても無機質で生活感が感じられない部屋だ。温かみを、意図して排除したように飾りっ気がなかった。にわかに自分が監禁され、尋問されるかのような気にもなる。こちらへどうぞ。と言われ、私は部屋の中央にあるテーブルの席に座った。形式的な挨拶程度の言葉を二、三、交わした後、早速なのですが、と白髪の男に促され、壁に組み込まれたスクリーンに目をやる。



「これで過去から現在に戻ってこられれば、いい話だったんですがね」私は努めて明るく言う。
「すいません」宮本秀夫が悪いわけではない。けれど誰かが謝る必要はあるのかもしれない。「過去の方向には戻れるが、未来の方向には進めない。依然として、世界はそういう仕組みになっているようです」
「となると、私は過去で一人暮らしか」独り言のように言葉が口をついた。「当然だけど、家族と別れるのっていうのは、悲しいものですね」
 誰しもに訪れると分かっている家族との別れが、実際、自分のもとにやってくると、不公平感に襲われ、愚痴や不安が込み上げてくるのは、人間の勝手なところなのだろう。「妻の手料理が食べられなくなるもつらいな」
 目の前に座る宮本秀夫は、そんな小言を何も言わずに聞いている。それらしい同情の言葉を投げかけてこないのが、私にとってはありがたかった。
 最後に気になっていることを訊いてみる。「この録画映像は、いつ家族に見せられそうです?」
「この事実の影響を最小限に抑えなければなりませんので、未来から指示があるまで、お見せすることはないでしょう。すいません」
「いいんだ、それで。妻がこのことを知ったら、『妻と子供をほっぽらかして、ずっと先の人類なんて助けて、バカじゃないの?』と怒られそうだし」
「明日の人類より今日の家族、一理ありますね」宮本秀夫は妻の肩を持つ。
「ただ、もしもこの映像を見せる時が来たら、妻にはこれと同じ大福を用意してあげてほしいんだ。それと、まだ小さな娘はフルーツパフェが好きなんだ、それもいいかな」
 そう要望を出した後、私は正面の壁に埋め込まれたカメラレンズの場所を確認すると、そこに目線を合わせた。「すまない、行ってくるよ。杏里のことを頼む」



 そこで映像は終わり、スクリーンが消え、元の壁に戻る。信じてもらえますか? と訊かれたが、わたしは直感的に本当だと分かった。あの人はサプライズのような演出が嫌いでね。照れくさいらしいのよ。とさんざん母が言っていたのを思い出す。そんな父が、こんな回りくどい映像を残し、わたしたちを驚かすわけがないのだ。母の意見も聞きたくなるが、その彼女はすでにこの世にいないので、困った。これは? わたしがテーブルの上を指し、尋ねると、北野さんが食べていた、同じ大福です、と教えてくれた。反射的に大福をつかみ、口に入れてみる。味が分からない。予想もしない出来事に翻弄され、味覚がうまく機能していないのかもしれない。泣くほど美味しいのかい、その大福。声が聞こえ、顔を上げると、目の前で宮本という白髪の男が微笑んでいるのが、滲んで見えた。

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