テーマ:一人暮らし

人間のしわざ

この作品を
みんなにシェア

読者賞について

あなたが選ぶ「読者賞」

読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

閉じる

「そして奇妙だったのは、三つ目の『ある住所と時間』です」
「時間の記載は、カルツ氏がその情報端末を受け取った日から、一年後の日付で、ですから特別、疑問が湧く余地はなかったのかもしれませんが、住所に関しては、受け取った時点で、書かれたビル自体が存在していなかったんですから、奇妙だったんでしょうね」ただし、あくまでも想像だが、予想だにしない、世界規模で展開するミステリーのような謎解きは、カルツさんにとって、困惑よりも好奇心を駆り立てたのかもしれない。「アメリカでしたね。住所の場所は」
「実際、カルツ氏はその住所、ニューヨーク州の川沿いにある土地に赴いています。ですが、更地でした。そこから出した答えは、『とりあえず、一年間、待てばいい』ということでした」
 私は住所の記述に立ち返る。「住所は場所だけではなかったはずですよね。記載はもっと詳細でしたね?」
「そうです。ビルの名称につづけて、階数と、南東の会議室の木製机の上、と事細かく書いてありました」
「結局、一年後、新興企業のビルがその更地には建造されていて、例の記載どおり、指定された階数のフロアーの南東に、会議室が設えられていた」見事に。
「その一年で、カルツ氏の行動は、秘密裏にアメリカ政府を巻き込んでおり、指定された日付の零時に、カルツ氏を含む限られた人間がその会議室に集結することになりました」
「で、現れたわけですね」
「ええ、会議室の何もない木製机の上に、突然、アタッシュケースが現れたのです」宮本秀夫は、その場にいたかのように話すので、私は引き込まれた。「そしてその場にいた全員が、一連の出来事は、私たちが起こしたとは考えにくい、という意見で一致します。つまり普通に考えて」
「考えて?」
「人間のしわざではない」
 分かっていたとはいえ、私はその言葉を耳に、目の前のお茶を飲まず、ごくりと自分の唾を飲み込んだ。


 
 夫から、悪いんだけど、今日の息子の迎えを変わってほしい、との電話で、わたしは急遽、幼稚園に向かっていた。到着がいつもの時間より遅れそうだが、息子の大好きなあんぱんを、あらかじめ買っておいたので、駄々をこねたら使わせてもらおう。アメとムチの、アメに頼りすぎるのは母親としてどうなのか、と自問しながら早歩きで進んでいく。
 すいません、と見知らぬ男から声をかけられた。白髪の男が立っている。顔のしわが目に付いたが、姿勢が良く、何より、洗練されたスーツの着こなしから、初老と呼ぶには抵抗があった。お話したいことが。白髪の男が早口で誘ってくるものの、わたしは急いでいたので、むげにし、去ろうとしたが、あんり杏里さん、と自分の名前を呼ばれたので、困惑する。直後、フルーツパフェも用意してあるのですが、とも告げられた。確かにそれは、わたしが子供ころからの好物であったが、なぜそのことを、となおさら困惑する。

人間のしわざ

ページ: 1 2 3 4 5 6 7 8

この作品を
みんなにシェア

7月期作品のトップへ