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人間のしわざ

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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「そこでようやく私の出番ですか」
 私は食べかけの大福を口に入れた。咀嚼しながら、口の中の神経を鋭敏にし、味わうことに集中する。普段なら気づけないような、味覚の変化に意識を傾けながら、顎を動かす。その間、宮本秀夫は口を閉ざし、待っていた。
「北野さん、あなたには特別な力が備わっている、とのことでした」
 大福休憩からの開口一番は、それだった。
「彼らによると、あなたは歴史上、他人を説得する力が群を抜いて秀でている、と。いや、秀でているという言葉では誤解を招きます。その力は、今の時代で言うところの、超能力と形容できるほど、絶対的なものらしいのです。彼らはその事実を、DNAバンクに蓄積された遺伝子を解析して、突き止めたようです」
 超能力ともいえる能力を判別するなど可能なのか、と疑った時もあったが、私たちにとって、ひと昔前では心という曖昧な存在だったものが、今では脳細胞のメカニズムによって物質的に理解可能になったのと同様なことなのかもしれない、と思うと腑に落ちた。
「つまり私が過去にタイムトラベルし、その能力で人工知能の開発者を説得し、例のアタッシュケースに入っていた、害のないプログラムのほうを使うようにすればいい。そういうことですね」話をまとめた自分だが、いまだに現実感に乏しい。空虚な絵空事を語っているかのようで、何だか恥ずかしさもあった。
「彼らによると、それが実現しないと控えめにみて、未来の人類の大部分が死滅する、らしいのです」
「ただ、本当にあるんですかね」私は気の抜けた声になる。「誰でも説得できる、そんな力があるならば、営業部の私はもっといい数字を残せたと思うんですが」一ヶ月前の実験で確かめられたとはいえ、それが絶対的な証明にはならない。
「気づかなければないのと同じ。では試してみましょうか」
 宮本秀夫はテーブルの上にある、彼にも用意された大福の皿を、指差し、こう言う。「隠していましたが、私も甘い物には目がない。もちろん大福も好きですよ。できれば今すぐ頬ばりたい気持ちでいます。では、私を説得して、大福をあなたにあげるようにしてみてください」
 はじめ。というスタートの合図として、彼は手を叩いた。
 宮本秀夫が真面目なのか、ユーモアを披露したのか、その表情から窺いしれなかったが、私は試しに言ってみた。
「その大福、私にくれませんか」
 すると、宮本秀夫の右腕が微細に震えだし、大福の皿を指で摘まみ、私の方に押し出してくる。ああ、腕が勝手に、と呻き声のような小声を発した。「はい、どうぞ」 

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