テーマ:ご当地物語 / 愛知県西尾張地方

やっぱ赤だがね

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「やっぱ赤だがね」
 然程食にはこだわりを見せぬ、本人積りでいる、竜男の口から覚えず、そう言葉がこぼれ出た。今朝の味噌汁は八丁味噌を使った赤出しである。
「いただきます」と手を合わせ、何より先に湯気の立つ味噌汁を、彼は口にすすった。そこで先の言葉が、自然と彼の口を出たのである。
 合わせの時がある。白の時もある。青井家の御御御付けは、とくにこれだと決まってない。愛知県西尾張地方に暮らす一家のまわりには、赤味噌以外は味噌じゃない、と豪語する輩も大勢おる。そんな言葉を耳にして竜男は、別に何味噌だって良いんじゃない、といつも心で嘯いていた。然し、矢張り赤味噌が一番だと彼は今素直に思った。
「やっぱ赤だがね」と竜男はもう一度、今度は感情を込めて言った。それから彼は食卓の上に乗る漬物を見て、妻に問う。
「おっ、これはひょっとして清須の、かりもりの粕漬けかな?」
「ええ、前からあなたが食べたい食べたいって言ってたから買ってきたわ」
「おお、それはそれは有難う。では早速いただくとするか」と竜男は、飴色に光るかりもりの粕漬けを、箸で一切れ口に運んだ。
「美味いっ!こりゃ茶漬けにすると最高じゃないかな」
 白米がよそわれた茶碗の中、急須から緑茶がそそがれ、その上にかりもりの粕漬けが三切れ乗せられた。竜男は茶漬けをかっ込んだ。
「やっぱ最高!」と彼は、かりもりの粕漬けの茶漬けに、感激して声をあげた。
 特別に地元を愛するわけでもない竜男だが、名古屋めしに代表される地元近隣の食べ物は、たいてい気にいっている。気にいってはいるが殊更拘泥している積りはない。そんな彼にとって普通に気にいる食べ物が、ここにまた一つ増えた。普通?いや今回は大層気にいったようだ。
「こいつはマジ気にいった。あれっ、皆んな食べないのか?美味しいぞ食べてみろ」
「わたし、粕漬け苦手だからいいわ」と妻が断る。
「うっ、まずっ、僕だめだ。水っ」と、一口かじった長男が、急いで水を口に流し、無理矢理飲み込む。
「わたしもやめとく」下の娘は、食べもせずに放棄する。
かりもりの粕漬けは竜男以外、青井家の皆に不評であった。

 山がない。丘もない。海が側にない。川は直ぐにある。ただただ平たい土地が続く。濃尾平野中央部に住む竜男は、坂のある海沿いの街に憧れをいだく。長崎なんぞに住んでみたいと思う。長崎ちゃんぽんも長崎カステラも好きである。雨もそう嫌いじゃない。十分暮らせる気がする。気はするが、腰痛持ちで足腰の弱い彼には、毎日坂を上り下りするのは大変きついに違いない。結局平たい地面が彼に似合っている。時折車で岐阜の山や知多の海へ遊びにいく程度が丁度良い。然れど、憧れるものは憧れる。坂と海に憧れる。

やっぱ赤だがね

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