すぐりの卵
箱根の山は険しい。 いくつめか分からなくなるほど急カーブを越え、身体を左右に揺さぶられ続けて酔いかけていた。 嫌な予感が気道を通って上がってくるのを、気合いで押し戻す。山の神様はきっと、人間が上がってこられないように試練を与えようとしているに違いない。
なつめさんの声がする。
「ねえ父さん。これ、どこへ向かってるの」
どんどん上ってるでしょう、耳痛くなってきちゃった、と不満げだ。
ハンドルを大きく回しながら、お義父さんが短く答えた。
「大涌谷」
しかし、急カーブで身体が大きく傾いだせいで、後部座席のなつめさんには聞き取れなかったようだ。
「え、なんて?」
すかさずお義母さんがフォローを入れる。
「大涌谷だってよ」
「どこそれー」
「どこそれって、やあねえ。昔よーく行ったでしょう」
「昔でしょ。分かんないわよ、そんなの。ね、すぐり、覚えてる?」
なつめさんはシートの上から身を乗り出して、僕の隣に座ったまま、窓の外ばかり見ているすぐりに問う。
すぐりはこちらを見もせず、首を少しだけ傾げた。
「ほーら。お母さん、すぐりも分かんないって」
威張っているなつめさんがなんとなく可笑しくて笑うと、なつめさんはこちらに話を振ってきた。
「善明くん知ってるの?」
「いや、知りません。すいません」
義姉に話しかけられると、どうも萎縮してしまう。
「えー。じゃあなんで笑ったのよ」
「分かんないっす。すいません」
ひょっとして、と後部座席から声がした。
「そこって、黒たまごのところ?」
振り返ると、まゆみ檀くんがぼんやりと頭を掻いている。長い前髪が揺れた。
「あれ。あんた起きてたの」
「いや、今。姉ちゃんがうるさかったから、目ぇ覚めた」
「は?」
なつめさんが檀くんを睨み付けた。慌てて話を戻す。
「あの、黒たまごって?」
お義父さんが答えた。
「大涌谷の名物だよ」
「そうそう。山から煙がもくもく上がっていてね、そこでゆでてるから、なにか自然の成分で真っ黒なのよ」
お義母さんがぼんやりとした説明を加える。
「それにしても檀、あなた良く覚えてるわね。一番ちっさかったのに」
「そりゃあ覚えてるよ」
あ、となつめさんが大きな声を出した。
「思い出したわ、黒たまご! 檀が一個じゃ足りないってごねて、すぐりの分まで食べちゃって、お父さんにめちゃくちゃ怒られてたとこでしょ。善明くん、あのときの檀の顔ったらね」
「うるさいな。たまご好きなんだよ。いくつ食べたっていいだろ」
すぐりの卵