隣の家の弟
電柱の影からしばらく弟を見ているとユウキくんが私のうしろを通り過ぎた。ユウキくんも私と同じ大学に通っている。私と同じ学部で同じ学科だ。隣の家の両親に頼まれてユウキくんの受験勉強を見てあげたこともある。ユウキくんは私にあこがれているんじゃないかと思ったものだ。そのころ弟はたしか16歳で不良の入口に立っていた。最初の兆候は尾崎豊だ。両親にスピーカーとiPodを買ってもらった弟はリビングに置いてある共用のパソコンで取り込んだ音楽を自分の部屋で流していた。いまよりはずっと弱く壁越しに聞こえてきた音楽が尾崎豊で、ああそういう年頃なんだなあと思ったことは覚えている。そのとき流行っていたパンクバンドとかではなくて尾崎豊なところが、なんていうか都会ではないこのあたりっぽいし弟らしいなあ、と。隣の部屋からは一か月くらい尾崎が流れていて、音量はだんだん大きくなっていった。そして弟が音痴な声で歌うのが聞こえてきた。あるとき共用のパソコンの検索履歴を見てみると〈バイク 盗む 方法〉〈窓ガラス 割る〉〈帳 意味〉だったりした。それらは実行に移されなかったのでほっとしたけれど、私はちょっと弟が心配だった。前から近づいてくるユウキくんに弟が気づいたようだ。弟が手を上げるとユウキくんも小さく手をあげた。それからこそこそとなにか話して、すぐに別れた。
ユウキくんが角を曲がって見えなくなると弟は立ち上がった。いったいなんのために古着屋さんの前に座っていたというのだろうか。そしてこちらに向かってくる。私は石だ。私は石だ。そう念じながら電柱に身を寄せて硬くした。弟が向こうの角を曲がると私も動いた。角を曲がると弟が全力疾走しながら別の角を曲がるところだった。不良仲間から召集でもかかったのだろうか。
家に帰る途中の道でユウキくんのお母さんに出会った。ユウキくんのお母さんは買い物帰りなのだろう紙袋を両手に抱えていて、持ちましょうかといったらやんわり断られた。いっしょに歩いてお互いの家に着くまでのあいだどこかよそよそしく、もしかしたら私が知らないだけでユウキくんも不良化しつつあるのだろうか。
トイレから出てきた母親が一階の廊下にある物置から引っ越し用のダンボールを出そうとしている私を手伝ってくれた。ふたりでダンボールを屋根みたいに持って私の部屋に運んだ。そのあいだ母親はわざとしょうもない、ほんとにどうでもいい冗談をいったりしたので私も無理に笑った。
隣の家の弟