冬に眠る

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 昼間にジュースを飲みすぎたのがいけなかったんだ、となつめは思った。
 家ではめったに飲ませてもらえないから、遊びに行った友達の家で鮮やかなオレンジ色のジュースをたっぷり飲んできたのだけれど、トイレを我慢できなくて目を覚ましたことが知られたら、きっとお母さんに叱られる。
 私に張り付くように眠っていた妹の手をそっと剥がし、できるだけ音を立てないようにベッドから降りた。ドアを半開きにしたまま真っ暗な子供部屋を出て、忍者みたいにそろそろとつま先で階段を降りていく。時間の感覚なんてないけれど、リビングの光が廊下に漏れているから、まだ真夜中というわけではないらしい。テレビの音とお母さんの話し声が聞こえる。
 水を流す音が予想以上に響いたからひやひやしたけれど、階段下まで戻ってもリビングの扉が開く様子はなかった。よかった。ばれてない。
 あとはベッドに戻るだけだ。階段は静かに上がりなさい、とお母さんにいつも言われているから、それは大して難しいことじゃない。濡れた手をパジャマで拭きながら階段の一段目に足をかけたとき、突然お父さんの大きな声が響いた。
「そんなの、どの位かかるか分からないじゃないか」
 びっくりして、思わず振り返った。
「ちょっと。大きな声を出さないで。子どもたちが起きちゃうでしょう」
 お母さんが声を抑えるようにして言うのが聞こえた。
 子どもには聞かせられない、内緒の話? ベッドに戻らなきゃ、と思った。でも、お父さんがあんな風に声を荒らげるなんて、変だ。夫婦喧嘩だとしてもお母さんの様子がおかしい。
 やっぱりなにかあったんだ。どきどきするのを落ち着かせるように、ふうっと長く息を吐いて、盗み聞きなんてよくない、と思いながら、ドアに耳をくっつける。
「そんな昨日の今日で入院なんてさせられるわけがないだろう」
 入院? 親戚の誰かのこと? でも、具合の悪い人なんていたかなあ。数が多くて大して名前も覚えていない親戚の顔をぼんやりと思い浮かべる。ああ、おばあちゃんの五人兄弟の誰かがこの前骨折したとか言ってたっけ。
「そうは言ってもね、お父さん、一日も早く入院させたいってお医者様が」
「医者がなんて言ったかなんて知るか。あの子は病人じゃないんだ」
 お父さんが強い口調で言った。
 あの子。心臓がどくん、と大きく一つ脈を打つ。ああ、そうか。これは、まゆみのことだ。冬休みからずっと風邪をひいていて、今も二階で眠っている私の幼い弟。どうして気が付かなかったんだろう。そのときになって急に、フローリングがひどく冷たいと思った。

冬に眠る

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