耳毛の顛末
3日前、日曜の晩には耳毛は健在だったはずである。穏やかな海の底でゆらゆら揺れる海藻のように、夫の耳毛はさも当然のごとく存在していた。出会ったころから、つまり7年の長きにわたって私の心をなごませてきた耳毛は、しかし唐突に姿を消したのだ。
耳毛のことについて、夫と話をしたことは一度もない。夫は耳毛の存在を知らないのではないかと思う。そのくらい、夫の耳毛は天然を保っていた。だから自分で処理したとはとても思えない。土日に美容院に行ったついでに切ってもらったというのなら分からなくもないが、美容院でそんなサービスをしてくれるのか分からないし、そもそも夫はかなり長いこと髪の毛を切っていない。
大丈夫ですよ、触ったりなんてしませんから。桂子さんの言葉を思い出し、私の心がすーっと冷めていく。耳ってほら、大切な人にしか触ってほしくないじゃないですか。耳が性感帯の人もいるくらいだし、勝手にさわったりしたらいくら何でも失礼ですもんね。
そうか、夫は浮気をしているのだ。相手は誰だろう。どのくらいまで夫と相手の仲は進んでいるのだろう。情事の後で眠りこける夫の耳を見て、浮気相手は思わず鋏を手にしたのかもしれない。
それがここ数日で起こった出来事なのだと思い至ったとき、私は幸せそうに眠る夫のことが憎らしくて憎らしくて、隣で眠ることが耐えられなくなってしまったのだった。
月曜の夜、私は病院の夜勤で家をあけていた。事が起こるとしたらそのタイミングだろう。この家によその女を連れ込んだのかもしれない。はらわたが煮えくり返りそうだ。
今すぐ横っ面を張り飛ばすこともできるけれど、夜中にそんな騒ぎは起こしたくない。それで寝不足ともなれば、お互い仕事に差し障りが出るだろう。問いつめるなら朝だと思い、私は夫の掛け布団をひっぺがして居間のソファーに移動した。もう6月なのだ、夫に掛け布団など必要ないだろう。
耳。
ダイニングテーブルで朝食を待つ夫の前で、聞こえるか聞こえないかの小声でつぶやくと、夫は右耳に手を当てて目をキョロキョロさせた。ああ。この男は少なくとも、耳毛がなくなったことを自覚している。
そこからはなし崩しだった。あなた、ずいぶん右のお耳がきれいになったようだけれど。こないだ久しぶりに耳掃除をしたからね。あら、耳掃除で毛まできれいになるのね、そんな便利な道具あったかしら。いや、ええと、鼻毛カッターってあるだろ、あれを耳に入れてだね……。
耳毛の顛末