テーマ:ご当地物語 / 岩手県大槌町

ペタンクルアーチ

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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オスも?
そう。たぶんね、その歌の近くに、ものすごくかわいいメスがいるかもしれないと思うからじゃないかって説があってね。
理にかなってる。
そうでしょう。それでね、歌には流行りがあって、かれらは歌をかえるらしいのね。
まさにラブソングなんだね。
そうなの。ラブソングなの。誰のラブソングがいちばん美しいかってことなんじゃないかなって思うの。
歌詞も、メロディーも。
そこにひかれるのよ、たぶん。一時期、みんながおなじ歌をうたってたときもあったって。
大ヒットソングがあったんだ。
そうそう。どんな歌詞だったのかしらね。
きっと、どんなに地球が美しいかってことを歌ってるんじゃないかな。
きっとそうね。
でもみんながおなじ歌ばかりじゃメスもつまんない。
そこで、べつのアレンジをくわえた新しいラブソングが生まれてくると。
モテモテなわけだ。
オスもそれいいねってなおさら寄ってくるでしょ。
わかる。
あくまで想像と推測ではあるんだけどね。
生物学者はそれが仕事だって聞いたよ。
そのとおりよ。それで、寄ってきてない? 男のともだち。
いや、寄ってきてない。
おかしいな。  
 どうゆうこと?
 ずっと、聴こえてるの。あの頃よりも、いまは、はっきりと。
 なにが?
 歌が。
 歌って。それって、もしかして。
彼女は小さくうなずいた。彼女はとてもおだやかな表情をしていた。顔の部位のすべてが完ぺきなバランスで配置されて、息をのむほどの美しさだった。
よかった。とぼくは言った。
えっ? と彼女は小首をかしげた。
歌が聴こえる理由が、血と肉になったからじゃなくて。
うふふ。ねっ。
テーブルの上に置かれたふたつのグラスの影が、消えてはまたあらわれくるのを何度かくりかえしていた。彼女は瞼をとじて、やわらかな微笑みを浮かべていた。世界が沈黙して、なにかに耳を傾けているような静けさだった。それがきっと、彼女の願いなのだとぼくは思った。とてもしあわせな気分だった。そういうときって突如、正反対な考えが浮かぶものだ。実は彼女とあいつはつき合っていて、これはふたりが仕組んだドッキリなんじゃないのかというものだった。しかし、あいつが彼女と口裏を合わせたまま、ぼくに京都を案内してくれたり、自然に電話で話をできたりするはずもなく、だいいちそういう、ひとがひとを想う部分をだましてよろこぶことができるような人間ではないのは、幼い頃からそばにいたぼくがいちばんよくわかっていた。そして親友を疑ってしまう自分を恥じた。そう思ったら、あいつが別れ際に言ったペタンクルアーチという言葉は、ひょっとしたら別の意味だったのかもしれないという考えがぼくをとらえはじめていた。それはもしかしたら、深く潜った海の底で、じっと耳を澄ましてみろよっていう意味だったのかもしれない。そうしたならかならず、呼応した彼女の声が聴こえてくるはずだと。

ペタンクルアーチ

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