ぱらみつぱらみつ
にぎやかなイルミネーションを過ぎてすべるようにほのぐらいトンネルに入る。
その場所は、ちいさな苗や種を祖母といっしょに買いにゆくときに使っていた。ずいぶん昔に通ったことのあった場所だったことを、〈風待トンネル〉の入り口近くで思い出す。
そしていつかの夜明け、話つかれた柿沼とふたりでここを歩いたことがあったことも。
闇のなかでは、ちいさな声やため息までもが、おそろしく響いて聞こえた。ずっと話してくれていないと、柿沼がそばにいないような気がして、その輪郭をそっとなぞりたくなるような、深くまがりくねった長い暗闇だった。
はじまりもおわりもわからない、ただ宙に浮いているような感覚。
いま、ゆきずりのだれかにころされたって、ころしているのかころされているのかさえわからないような。そんな空間をおそるおそる柿沼の右手の親指といっしょに歩いていた記憶が、一瞬よみがえった。
電車に乗っていてもそうだけれど、ドンネルにいっしゅん入ってゆくときの、少しだけふあんでふたしかな空間に対して、からだがその空気にかすかに反応して緊張する感じはすきなことなのか嫌なことなのか、わからなくなることがある。
こころもとなかったはずなのに、出口が近づくどこかで、がっかりとするような物足りないような。
こころの準備がないままに入ってみると、あきらかにほかの道とは違う、ざわざわしたこころがふとよぎる。
これってなんとなく〈アリス〉だなって思う。スティーヴン・ミルハウザーの「アリスは、落ちながら」という短編を何日か前に読んでいたせいなのかもしれない。
この本は柿沼がなんとなく栞向きだって言って、勝手に本棚に置いていった一冊だった。
ひたすら落ちてゆく時間を、無限に引き延ばされたかのように綴られたその世界。
〈いつからじぶんが落ちつづけているのか〉わからないアリス。
〈ラズベリージャム、と書いたラベルを貼った壺がある〉〈それからレモンクッキーの缶。
蓋は深緑色で、中央に楕円形の枠があり、アルバート公の色つきの肖像が収っている〉落下してゆく速度の中でひたすら確認しているアリス。
ほんのつかのま、何も言わずにタクシーの運転手さんが選んで入っていった、現実のこの〈風待トンネル〉もそのまま垂直にすれば、アリスが体験したような、〈縦穴の薄暗い壁〉となってゆくように感じる。
落ちてゆく快感と懐疑と。
栞は、明かりが差す地上がほんとうで、おちてゆくじぶんがゆめなのか分からなくなっているのは、彼女だけじゃないような気がしていた。
ぱらみつぱらみつ