テーマ:ご当地物語 / 東京牛込

原っぱの怪人

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 町内のあちこちで焚(た)く迎え火の、揺(ゆ)れ動(うご)く美しさは、夜晩(おそ)く焚く送り火のさびしさとともに、忘れることができません。

梅雨(つゆ)が明けるころになりますと、道夫の家の近くの路地や横丁には、縁台がいくつも出ていました。そこに町内の人が集まって、子供たちは縁台のまわりで花火をしたりして遊び、大人は将棋(しょうぎ)をさしたり、他人のうわさや軍隊時代の話などをしていました。おととし戦争がおわって、道夫の育った牛込の町もすっかり焼け野原となりました。そのあとしばらくのバラックずまいの町の中で、こんな夕涼みの楽しみが、よみがえっていたのです。
細い路地は、軒と軒とがかさなりあって、なんとも蒸し暑くてたまらなかったのですが、まだルームクーラーの普及していない時分(じぶん)でしたから、路地に涼み台をすえて、うちわ片手に吹きぬける風にあたるしかなかったのです。また、縁台に腰をかけたゆかたがけの娘さんが、うちわで風をおくっている姿などは、なかなか風情(ふぜい)があったものです。
夏になると、芝居や寄席の出しものはもちろんのこと、世間話でも、幽霊の話が好まれるのは、今も昔もかわりはありません。とりわけお盆の時季(じき)には、「亡(な)き人(ひと)かえる魂(たま)祭(まつり)」で、幽霊ばなしに花が咲きます。暑いときに怖い話を聞けば、ゾッと寒くなるという効用(こうよう)もあります。
夏には、家々ではフスマをはずしてヨシ障子(しょうじ)に替(か)えたり、窓にすだれを掛けてあけ放(はな)しにしたりします。部屋の明かりも蛍光灯(けいこうとう)ではなく、白いガラスの笠の下に黄色っぽい白熱(はくねつ)電灯(でんとう)がともっていました。だから、家の中の明かりが外にもれ、横丁や路地のあちこちに光の濃淡(のうたん)ができて、その陰(かげ)に幽霊でもひそんでいるような気がします。
 その上、部屋の中には青ガヤが揺れて、軒先(のきさき)にはきれいな水色をした、秋草とかが描いてある提灯(ちょうちん)が吊るされています。この水色の提灯は、お盆に帰ってくるお精霊(しょうりょう)さまを招きよせるための目印であり、家の中に先祖の霊が来ていることのしるしでもあります。幽霊ばなしの道具立(どうぐだ)てとしてはもってこいなのです。
 近所の人の中でも、いちばんの話し上手(じょうず)は、電車通りにある活版(かっぱん)印刷所(いんさつじょ)の親方で、夏は麻(あさ)のかたびらを着て、たばこ盆の灰吹(はいふ)きでキセルをはたきながら、よく怪談のたぐいを聞かせてくれました。そのなかの一つにこういう話がありました。

原っぱの怪人

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