のむということ
「え? ぼっちゃんボトルキープなんてしとん?」
小十郎が驚いて問う。なんて、という言葉が入ったのは、それがあまりに意外だったからだろう。クマも詳しいシステムまでは知らないが、もっと大人がする事だというイメージがある。
「そうねぇ。もう三、四本入れてくれてるかしら? 今あるのはウィスキーなんだけど、同じものでいい人いる?」
「あ、じゃあそれで」
「あたしウィスキー苦手なんで、チャイナブルーで」
「クマどうする?」
すらすらと注文を決める三人についていけず焦る。ウィスキーを飲むのは平気だが、ぼっちゃんが買っているボトルの中身を自分たちが減らしていいものなのかが判らない。それに
「せっかく初めての街で飲む最初の一杯じゃし、悩むな」
人生最初の一杯はレモンハイで、成人最初の一杯は賀茂鶴だった。
「あらぁ! 流川初めてなの?」
「あ、はい」
「じゃあびっくりしたでしょ。この街、綺麗だから」
そうですね、と返事をしながら今見てきた表の景色を思い浮かべる。
明るい! なんじゃこりゃ! 店多い! あれホストか! うわ! 初めて見た! なんじゃこりゃ! どこもかしこもギラギラしよる! すっげ!
思考の殆どが感嘆詞で埋め尽くされていた中で、あのネオンの海を綺麗と思う余裕なんてなかったが、では綺麗じゃないのかと問われるとそうではない。
「なんか、異世界って感じですね」
街そのものに圧倒されるあの感じは、アニメで異世界に飛んだ主人公が見るもの全てに目を丸くしているあれによく似ている。そう思って滑った一言だったが、マスターは嬉しそうに笑った。
「そりゃあね、なんたって中国地方最大の夜の街! 昼間の憂さをお酒に流すための街だもの。魔法のひとつふたつあるわよぉ? 掛かってみる?」
魔法は丁重に辞退したが、流川デビューの一杯はマスターがとびきりのカクテルをサービスしてくれる事になった。透明だがうっすらと水色に光っていて、グラスの飲み口には白い個体がぐるりと並んでいた。
「はい、『ヴィヨンの妻』よ」
見た目の美しさに感激しているクマの隣で、小十郎が息を飲んだ。
「太宰の?」
「あら、お嬢さんマニアックね」
にっこりとするマスターに小十郎は、文学部ですから、もごもご答えた。
「昔お酒を教えてくれた人が作ったカクテルなの。飲み口に塩を塗ったのはうちのアレンジだけどね。当店の秘密兵器よ」
マスターはそう言い、口元に人差し指を立ててウィンクをする。
のむということ