五時のチャイムの終わりと共に現れた女の子、のこと。
まず、僕が言いたいことは、ドアは長方形だという点だ。きっと世界のどこかには丸いドアや、三角のドア、もしかしたらひし形のドアだってあるのかもしれない。けれど大抵ドアは長方形で、味気なく、今、僕が寝転がって見ている部屋のドアもなんの変哲もない、つまりは長方形の形をしている。
「さよなら」
も、言わずに彼女は部屋を出て行った。どこにでもある長方形のドアを開いて。
もしもあのドアが三角なら、その開けにくさに(きっと開けにくいに違いない)、辟易し、立ち止まり、
「さよなら」
を、伝えるくらいの心の余裕が、短気な彼女にも生まれたかもしれない。
もしもあのドアがひし形なら、たとえば荷物が角に引っかかり、彼女は部屋を出ていくことを諦めて、
「さよなら、
なんて、バカなこと考えてごめんなさい」と、僕の胸に飛び込んできたかもしれない。
世界にあるすべてのさよならは、ドアが長方形で出来ているせいかもしれない。
彼女が出て行ってから二日が経った。
一緒に暮らした部屋のリビングに、僕は家具の一部みたいに張り付いている。「彼女が出て行ってからずっとだ」と、くわえタバコのひとつでもして、なんていうかワイルドに言いたいところだけれど、生きるために水も飲んだし、人としてトイレも行った。なんならカップラーメンもしっかり食べたし、夜になればベッドで布団をかけてぐっすり眠った。それでも傷ついていることを証明しようと、僕はバイトを無断で休み、鳴り続ける電話を無視して、リビングに張り付き、そこから見える長方形のドアに憎しみを抱いて過ごしていた。
しかしながら、僕は生きていた。二年も一緒に過ごした恋人が部屋を出て行ったにも関わらず。
「傷ついています、はい」
天井のシミ、昔飼っていた雑種犬に似ていなくもないシミに向かってそうやってつぶやいてみる。部屋は、彼女の不在を証明するようにしんとして、僕の声がよく響く。
「傷ついています、はい」
そう言ってみると、確かに僕は傷ついているような気分になる。とても打ちのめされているような、そんな気がしないでもない。だけど前述したように、僕は生きていた。彼女がいなくても僕の心臓は動き、血液は身体中を(おそらくは元気に)巡っている。
夕方、5時のチャイムが鳴ると、僕はむくりと起き上がり、台所でお湯を沸かし始めた。戸棚からカップラーメンを取り出し、蓋を半分だけ開き、割り箸を割る。生きるための完璧なスタンバイ。僕は5時のチャイムが聴こえてきたと思われる方向を見つめる。おそらくは、西。窓から見える太陽は、ゆっくりと世界のどこかに沈もうとしている。「さよなら」、も言わず。
五時のチャイムの終わりと共に現れた女の子、のこと。