文鳥
夕飯はきのうの残りのカレーだった。スプーンを持つ妻の指先に、ささくれがいくつもあった。最近、なにを話したらいいのかわからない。テレビが点いていてよかった。ガラケーにメールがきた。サキコさんからだった。
「ねぇ父さん、文鳥をもらったんだ」
「へぇ、だれに」
メールを打ちながらそういった。
「ゲンさん」
「あぁ、ゲンくんか。元気でやってるの? 最近見てないけど」
うそをついた。
夕食を終えて、テレビを流し見ていた。妻が食器を洗う音がうるさくて、音量を大きくした。テレビではクイズ番組がやっている。つい、先走って答えをいいそうになるが、ソファの隣に座っている息子はクイズの答えを考えているようなので、なにもいわないでおこうと思っていたら、息子が、「ダーダネルス海峡」と答えをいった。「文鳥は、どこにいるの?」と聞いて、息子の部屋に見にいった。白くて、手のなかにちょうど入ってしまえそうな鳥だった。お餅みたいな体をしていて、くちばしがドライフルーツのイチゴのように赤い。どこかの地方の銘菓を捏ねたらそのままこの文鳥になりそうだと思った。
「はい、お弁当。いってらっしゃい」
「あぁ」
いつも悪いな、とか、ありがとう、とか、いつもいつも、きょうこそそういおうと思っていたことを、家を出て少し歩いたあとに思い出す。ふりむくと、妻が長いこと手を振っていた。
サキコさんから返信がきていた。〈今日は大丈夫?〉
別に、おれじゃなくてもだれにだってできる、そういう仕事を淡々とこなしたあと、夕方ごろになって、妻に電話をかけた。
「もしもし」
「あぁ、おれだよ」
「どうしたの」
「実はさぁ、急に仕事が入っちゃって」
「そう、それで、何時頃帰れそう?」
「いや、まだ見通し立たなくて、今日、泊りになるかも」
「そう、泊りなの」
「あぁ」
「そう」
電話越しに、どっ、どっ、となにかが叩かれるような音が聞こえた。
そのあと、サキコさんの家にいった。
せっせと体を動かしながら、文鳥の話をした。「それで、なんていう名前なんですか?」と聞かれて、名前を聞いていなかったことに気づいた。
泊まるつもりはなかったのに、なかなかうまくいかず、本当に泊まることになった。
次の日の午前中、息子が登校するくらいの時間に家に帰ると、妻がいなかった。
*
「なにそれ」
「文鳥」
「どこからもらってきたの」
「別に、関係ないだろ」
まただ。
「おれの部屋で飼うから」
なんとかしなきゃ、と自分では思っているのに、咳をするみたいに、反射的に母さんに冷たくしてしまう。母さんはおれの態度で苦しんでいるかもしれない、いや、苦しんでいるだろうけど、でも、それでも、ちゃんとおれたちは生活できているということにかまけて、自分のなかの、そういう、反抗期的なものと向き合ってみようとは思えない。時間が過ぎたら、ぜんぶ、きれいな思い出になるんだろうなって、自分勝手なことを思う。
文鳥