テーマ:一人暮らし

おかえりなさい

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読者賞について

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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 「どういったお部屋をご希望ですか」
 「インターネットで調べてきたのですが、この部屋はまだありますか」
と私は少し緊張気味に聞いた。
 「ああ、はい、このお部屋ならまだ空いていますね」
パソコンを隔てた向こう側の答えに私は少しほっとした。
 「ただ、これ以外にもいい物件がありますので、少々お待ちいただけますか」
と大きな分厚いファイルを片手にその女性はパラパラとページをめくる。電話の音と事務所内の話し声に紙のこすれる音が重なる。外の音に敏感になっているということは私はやっぱり緊張しているのだと自覚をし、手をぎゅっと握りしめた。
 「これなど、いかがですか」
目の前に出されたA4サイズの紙に目を落とす。モノクロ印刷のそれには部屋の外観と内装の写真、そして控えめに『駅から徒歩5分』書かれていた。今までも家で下調べをして来て、これだと思って店にやって来ても、目の前に出されたそれになんとなく興味を持ってしまうのはなぜだろうかと疑問に思いながら、詳細を目で追っていく。
 正直に言えば、興味はあった。そんな私の表情を女性はしっかりと見ていて
 「ここならお探しの物件を内覧しながら回ることもできますのでいかがですか」
と声をかけてきた。そんなやり取りを2、3回繰り返し、結果として自分の持ち込んだものも含め、絞り込んだ末に3件の内覧をすることになった。
 一緒に女性と車に乗り込み、目的地に向かう。街の喧騒とは対照的に目的地までの道は空いていた。女性の運転はスムーズですいすいと進んでいく。私は道順を取りこぼさず覚えようとその後ろでじっと黙って座っていた。お店の配達で車を運転するので道を覚えることはあまり苦ではなかった。
 「こちらになります」
女性の声がして、私の緊張の糸がぷつんと切れた。
 「あ、はい」
間の抜けたような、ぼんやりとした声で答えた。ドアを開けて、車外に出る。
最初は私が目星をつけていた物件にやって来た。
 思っていたとおりと言えばそうで、なんとなく私の選んだ部屋らしくすべてが普通だった。静かな環境、日当たりも良好、生活に事欠かない場所。部屋の中に入り、あれこれと説明を受ける。
 「いいところですね」
私は素直にそう言った。それからもしばらく戸棚の中を開けたり、排水の確認をしたり、たぶん、内覧者として過不足ないことを私はしていたのだと思う。
 「では、次にまいりましょうか」
20分ほどして、その声に促され部屋を出た。

おかえりなさい

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