テーマ:一人暮らし

おかえりなさい

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読者賞について

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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 こういう作業をしている時間はとても幸福なものだと思う、「何かを作ること」は大げさな言い方だが、私にとって生きていく上でとても重要なことなのだ。自分の直感を頼りに、時折、手を止めながら試作品を作る、イメージ通りにできたように感じながらも気になってあれこれと小さな変更を加えていくと、小さなお皿の上には黄色やピンク、紫の花が咲くほのかに春の香りのする庭ができあがっていた。
 時計を見ると午前十時を回っていた。
教室の時間まであと一時間をきっている。
私は試作品を片隅に置き、今日のための花材の準備に取り掛かった。
 時間の十分前になると次々と生徒さんたちがお店に入ってきた。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」
挨拶を済ませるとそれぞれが自分の時間を過ごす。
店内を見て回っているのは響子さん。
今日の課題を一生懸命眺めているのは紫さん。
おしゃべりをしているのは香織さんと寛子さん。
私の担当している教室はいつもこの四人で行われている。
「そうそう、この近辺は大型マンションの建築が進んでいて、子どもの数も増えたから小学校も近くに増設されるって話が出ているみたいよ」と香織さんは言った。寛子さんも「それね、その話私も聞いたわ」と応じていた。
 確かにこの街は私が初めて来た時よりも背の高いマンションが駅前にたくさんできたし、お店に来る方も若い人の割合が増えてきていたような気はしていた。
 元々、この土地は森で覆われていたと店主の昌代さんに以前聞いたことがある。
「ほら、まだその名残がある場所もちらほらしてるでしょう、『かげや』なんかは今も森が周りにあるけれど、昔はあの辺り一帯が森に囲まれていたのよ」と話していた。
今からは想像もできないと思ったが、確かにここ数年でお店の近くにスーパーは二軒できたし、コンビニもできた。人が生活をするために必要なものが次々とできて、単純に「便利になっていくんだな」などと考えていたが、このスピードで開発が進んでいくのだとしたら、この辺りの森はどんどん少なくなっていってしまうに違いない、そう思うと、なんとなく今自分が暮らしている場所も徐々に変化していくのだろうかと心もとない気持ちになったのを覚えている。
 教室が終わるとそれぞれが自分の作品を手に帰っていく。一生懸命作品と向き合い、完成したそれを見る時、自分も同じだが「かわいい我が子」を見る眼差しになる。それを大切に抱えてお店を出る姿を見ると、私はほっとしてしまう。無事に一緒に帰ることができて良かった、と。彼女たちの後ろ姿を見送り、お店の中の片付けをしながら接客をしていると、あっという間に夕方になっていた。

おかえりなさい

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