テーマ:一人暮らし

十月の訪問者

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読者賞はノミネート掲載された優秀作品のなかから、もっとも読者から支持された作品に贈られます。

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これが若いということなのだろうか。汗ばむ手で梯子を握りしめ、一段また一段と足をかけてゆく。

 どうにか辿り着いたロフトは思いのほか広かった。ブラウンのリネンがかけられたマットレスに掛け布団、そして枕。それらを踏まないように、窓に近づく。
「じゃあ、今日の運試し。いい? 開けるよ」
青く澄んだ空が、目の前に現れる。
「あ、見えた、見えた!」佐保がはしゃいだ声をあげる。
「見えないわ。どこ?」
「ずーっと右の方。よーく見ないと分からないかも」
「……あら、ほんとだわ」
遠くポツンと見える富士山は、空と同じく真っ青な色をして、頭に白く美しい雪を頂いている。
「ということは、今日は『いい日』になるわけね?」
「もちろん。こうしてお母さんに会えたしね」
「そう」
「ねえ、お母さん」
「なあに?」
「いまさらだけど」
窓枠に体をもたせかけ、視線を外に遣ったまま佐保が言う。
「……一人暮らしさせてくれて、ありがとう」
明子は驚いて、佐保の横顔を見つめる。
「突然どうしたの?」
「お母さん、最初私が家を出ること反対してたでしょう」
「それはやっぱり、心配だったもの」
「一人で暮らし始めたばかりのころ、私ってホントにダメな子だったの。あんまりお母さんの言った通りで、自分でも笑っちゃった。冷蔵庫の食材はうっかり腐らせちゃうし、洗濯物は取り込み忘れて雨に濡らしちゃうし、洗い物をためすぎたせいで流しがすごい匂いになっちゃうし……。公共料金の支払いもね、期日内に済ませるのを忘れていたこと、何回あったかなあ。ずっと家のことは何もかもお母さんに頼りっぱなしで、甘えてきたもんね」
窓の外を見たまま、じっと動かない。
「仕事もね、最初は全然うまくいかなくて。そういう自分のだらしなさが、働くうえでも、知らずにでてたのかもしれない」
明るい口調とは逆に、声は固くこわばっている。
「私、働き始めてからほとんど家に帰らなかったでしょ。いまお父さんとお母さんの顔を見たら、きっと甘えたくなる。二度と自分の足で立ち上がれなくなる、って気がしてたの。だから、いろんなことがもう少しちゃんとできるようになるまで、帰らない。そう決めて、踏ん張った」でもね、と佐保は続ける。「最近ようやく、成長できたかなって」
料理はまだまだだけどね。ははっと笑って言う。
「そうだったの……」
気がつくと、佐保の手をとり握りしめていた。
「お母さん、佐保が可愛くて可愛くて、いままで甘やかしすぎちゃってたのかもね」

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